人はすぐ、人の外貌
で、人をきめてしまいやすい。忠盛の容貌ようぼう
と、忠盛が地方出の武者だということだけで、院中の公卿たちは、彼の知性を見くびっているが、上皇は、むしろ反対に見ておられた。──内には、文雅をたたえているが、武人の本分を知って、外にその知をひけらかさぬ者だと、ゆかしくさえ、思っておられた。 それには、こんなことも以前あったのである。院のお使いで、忠盛が、備後ノ国に下くだ
り、やがて帰洛きらく したおり、四方よも
の旅の話しのあとで、上皇には、 「音に聞く、明石の浦も、船で通ったであろうが、どんな所か」 と、おたずねになった。 ほかの儀なら、お答えもしやすいが、風景を何と説明しよう。忠盛はぜひなく、一首を詠じて、お目にかけた。 |