〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-\ 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (一) ──
ち げ ぐ さ の 巻

2013/02/05 (火) 長 恨 宮 (一)

人はすぐ、人の外貌がいぼう で、人をきめてしまいやすい。忠盛の容貌ようぼう と、忠盛が地方出の武者だということだけで、院中の公卿たちは、彼の知性を見くびっているが、上皇は、むしろ反対に見ておられた。──内には、文雅をたたえているが、武人の本分を知って、外にその知をひけらかさぬ者だと、ゆかしくさえ、思っておられた。
それには、こんなことも以前あったのである。院のお使いで、忠盛が、備後ノ国にくだ り、やがて帰洛きらく したおり、四方よも の旅の話しのあとで、上皇には、
「音に聞く、明石の浦も、船で通ったであろうが、どんな所か」
と、おたずねになった。
ほかの儀なら、お答えもしやすいが、風景を何と説明しよう。忠盛はぜひなく、一首を詠じて、お目にかけた。

有明の 月も明石の 浦かぜに  波ばかりこそ よると見えしか
これは、当時の歌人の俊頼、基俊、顕輔朝臣なども、みな秀歌だと賞めている。そして後には、勅選の金葉集にも載せられたほどであるから ── 上皇の御感ぎょかん に入ったほども、思いやられる。
上皇には、そんな御記憶もあって、忠盛を、一かい武弁ぶべん とばかりは、見ておられなかった。── で、一ノ宮の乳人めのと と、彼との仲をお知りになっても、忠盛への御信頼には、ごう も、おゆるぎはなかったのである。
しかし今は ── と、御思案の末か、これが表面化してから、二月ほど後のこと、お の近くへ、忠盛を召された。そして、
「そちも、宿の妻には、不運な男よの。・・・・なお、ひと り暮らしでは、やしきに っても、あじきないことであろ。さいわい、一ノ宮へ上っている乳人めのと の有子は、そちへ嫁ぎたがっておるという。一ノ宮もやがて を離れてもよいころであろうし・・・・きめてはどうかの、北の方に」
と、仰っしゃた。御微笑だけで、ほかのことは、何も、お触れにならずに。
忠盛は、お心の深さに打たれ、どうお答えしたかも知らずに、退 がってしまった。
(仰せに、あまえて・・・・) というような意味を言ったことは覚えている。それと、上皇が (── そちも、宿の妻には、不運な男よの) と言われた御一語が、いつまでも、耳の底にあった。 (そちも ──) と言われた 「も」 が、忠盛には、上皇の肺腑はいふ を破った血の音のように聞こえたのである。 「・・・・も」 とは、御自身をふくめて使われたお言葉ではあるまいか。
ではその 「わが身もだが、そちも 」 といわれた上皇のお胸は、いったい、何を語っておられたのであろう。
忠盛には、わかっていた。── 思いそこにいたると、さんぜんと、なんだ なきを得ないのであった。
上皇が、鳥羽天皇として、なお御在位のうち、中宮は、いまの待賢門院、藤原璋子であった。
璋子は、人も知る白河法皇の猶子ゆうし で、祖父法皇のおはからいで、天皇に配されたきさき であることは、さきに誌した通りである。
当時、天皇は、おん年わずか十五。
しかも璋子は、二つ上の、十七であった。
美貌びぼう を誇る璋子の背後には、長い間の摂関政治をも一挙に打破して、新しい院政の樹立を断行したほどな、白河法皇の威光もある。お若い天皇の御意は、何一つ行われもしなった。
著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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