「世に、男はなくもあるまいに、ヅガ目殿を、恋の相手に、選ぶとは」 「もの好きな女性
も、あればあるものかな」 「いや、忠盛とて、歌のまね詠よ
みぐらいはする男。ただ、あの顔して、どんな恋歌など」 「人は、見かけによらぬという、俗言あれば・・・・。さはいえぬものじゃ」 こういえば、だれしも、これには、興味を持つ。 「ほ。・・・・スガ目殿の相手とは、一体、どこの女性か」 当然、訊き
きたがらずにいなかった。 たちまち、女性の素性も、伝わった。 大夫たいふ
、藤とう ノ宗兼むねかね
の女むすめ 。── 名は、有子ありこ
と。 それなら、たれも知っていた。以前、鳥羽院の局つぼね
にいた女房の一人だったからである。 ──が、今、思い合わせると。遠藤盛遠の追捕騒ぎがあって、忠盛が身を退いたあのころから、有子も、いつのまにか、暇いとま
をとって、院の局に、姿は見えなくなっていた。 ところが、その有子は、近ごろ、一ノ宮の乳人めのと
に召されているという。 一ノ宮とは、崇徳の第一の皇子重仁のことである。本来、皇太子でおわすべきを、上皇と美福門院のおん仲にに生まれた体仁なりひと
が春宮とうぐう (皇太子) の位に即つ
かれたため、親王にとどめられているお方だった。父、天王のお気持としても、宮廷側のすべての眼からも ── 生まれながらの不遇に封じ込められた御生命にそれがながめられて、お可憐いじら
しいことではある、酷むご い、なされ方かた
ではあると ── 院へ向かって、口にも出せないだけに、みな春なき氷の谷間にも似て、恨みを閉じている一ノ宮であった。 「何ぞはからん、忠盛が、かくし妻とは、一ノ宮の乳人めのと
であろうとは。・・・・院の御内事も、内裏へ、つつ抜けに知れるはずよ」 これが、上皇のお耳に入らぬわけもない。問題は、微妙である。悪く解釈すれば、いくらでも結びつく複雑なものが、平常に、院と内裏だいり
の間には伏在している。 ところが。上皇には、二人の恋を、もう数年前に、知っておられたらしく、 「・・・・そのことか」 と、いと古めかしい過去を思い出されるように
── 「お卿こと らは、忠盛の風流を、今ごろ知って、取り沙汰するか」 と、かえって、左右の人びとの迂う
を、笑われた。 人びとは、意外な思いをした。しかし、上皇がそれを御存知なわけは、当然であった。上皇御自身は、女房たちの局へも、自由にお立ち入りされているし
── また、かつて、女房たちの間に、次のような出来事もあったからである。 ある朝 ── 長局ながつぼね
の一つの入口に、男持ちの扇が落ちていた。扇の端つま
から、月が大きく描いてある物だった。それを拾った女房たちは、おもしろがって、ほかの局つぼね
の女房たちの間を見せまわったあげく、 「これはいずこよりもれ入った月影やら。・・・・月の行方も、覚おぼ
つかな?」 と、扇の落ちていた部屋の小女房を、からかった。 ことばを、かえて言えば。──さア仰っしゃい、見つけましたよ。この月の扇の持ち主はだれですか。── と責めたのである。 小女房は、顔あからめたまま、袖そで
の蔭に、身を、被かず き隠してうつぶしたが、女房たちが、責めてきかないので、懐紙に、歌を書いて示した。 |