〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-\ 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (一) ──
ち げ ぐ さ の 巻

2013/02/05 (火)  めの の 恋 (二)

この朝、生まれ出た男の子が、後、平家の世盛りには、燈籠とうろう大臣おとど とも、小松内府とも言われた平相国へいしょうこくrt>嫡男ちゃくなん 、平ノ重盛しげもりrt> であったが ── 時にまだ二十一歳の若い父親は、産屋をまもる人びとから、
「お嫡男でいらっしゃいますよ。玉のような和子様でいらっしゃいます」
と、ことほ がれても、居間と産屋の間を、まごまごして、何か、居たたまれなかった。
「じじ、馬を出せ。── 馬を」
家付きの郎党のうち、木工助家貞や、幾人かは、清盛について、この水薬師の方へ、移っていた。
家貞はすぐ、駒寄せに、立ちあらわれ ──
「若殿。おうれしゅうござりましょうず」
「ほっとしたよ。なんだか、ほっとしただけだ」
「早速、産土神うぶすながみ へ、お礼詣れいもう でに」
「いや、何より先に、今出川へだ。じじ、この大雪だ。おまえは留守しておれ」
清盛は、門の内から、乗って出た。
すると、例の大藪道おおやぶみち あたりで、兄者人兄者人と、うしろから呼ぶ者がある。妻の弟の時忠だった。
「そこまで、送って上げよう。竹がたおれているからね」
時忠は、ひとりが合点に、清盛の先を駆けた。雪の重さに、道へ倒れている竹が多い。──時忠は、小太刀を抜いて、ぱんっと切った。切っては除け、切っては除け、うさぎ のように、先へ飛んで行く。そして、得意そうに、清盛をふり向いた。
「ありがとう。もういいぞ」
末おそろしい小冠者の機智と敏捷びんしょう さを、けさも、清盛は、彼の小さい姿に見、そしてふと、生まれ出た今朝の我が子は ── と、かすかに、父らしい思いの芽を抱いた。
「そうだ。今朝の子は、たしかに、俺が時子に生ませたものだ。たしかに、おれの・・・・」
都の屋根も、都をめぐる北山東山も、眼のかぎり白い雪の道を、彼の一騎は、なんでそんなに心せわ しく行くのかと人に怪しまれるほど急いでいた。やがて、今出川の門に着き、父忠盛の前にかしこまって、
「生まれました・・・・男の子が」 と、やや息を弾ませて、告げていた。
「生まれたか・・・・」 と、忠盛は言った。
あきらかに、まぶた のうちが、うるんでいた。それを見て、清盛も、じいんと、目の底を熱くした。 ── 父ならぬ人を父以上にも慕って、何やら不思議な宿縁の ── これからも続いて行くであろう人間の果て無き血の鎖を ── 過去から未来へかけて、ぼんやりながめ合っているような二人の朝であった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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