平太清盛が、時子と結婚したのは、その年の十二月だった。 「・・・・どうだ。娶
うか」 と、父忠盛が、口を切ったとき、清盛は、顔を、真っ赤にして、 「やあ」 と、頭へ手をやった。それだけである。それで、この父子は、充分に、心は語り合っていた。 婿になる男は、未来の妻とちぎる女の家へ、三日の間は、夜ごと夜ごと、忍しの
んで通うのが慣なら わしである。 彼もまた、あの真っ暗な道を、三晩も、水薬師の館まで通った。 寒さ、道の悪さ、丹波おろしに、耳もちぎれるばかりな夜を。 しかし、楽しい。まったく彼は楽しかった。恋とは、いえないかも知れないが
── どっちの親たちも、知って、知らない顔をしているのが、時代の風習である。── 母屋おもや
も対ノ屋も、なべて寝沈んでいる厚い闇の中に、彼女の寝室の灯火だけが、天地にただひとつの愛情の示しのように妻戸からもれているのを見るとき、清盛は、恋以上にも、夢の子になった。 後朝きぬぎぬ
の別れも、なかなか、恋に似て、恋より深い。二人だけには、鳥の音も、霜のこずえも、この世は、そのまま詩であった。 こうして、三夜通いのあと、男は、文ふみ
を書き送る。女性も、文を返してよこす。──が、もしいやだったら、それをしなければいいのである。文をよこしもせず、返しもしないときは、いやだという断ことわ
りなのである。 もちろん、清盛は、いやとはしない。彼女からも、美しいかな文字の返しが来た。文には、香こう
が焚た きこめてあった。 時子は、今出川屋敷の方へ、嫁いでくるべきであったが、水薬師の時信の館の方が、古くても、はるかに大きい。武者屋敷と違い、対ノ屋もある。 で、新夫婦は、七条水薬師の館のうちに、居きよ
をもつことになった。 「それは、お似合いな・・・・」 と、両家の知人は、同じように言った。新夫婦を祝福するのか、貧乏武者と貧乏朝臣というのをさすのか、また時信も忠盛も、相似た変わり者と見ていうのか、おそらく、人さまざまな意味をもって、この結婚をながめたにちがいない。 ともあれ、水薬師の館では、一夜、知友を招いて、ささやかながら、祝宴を催した。 ときに、時子の弟の時忠が、 「姉君のお婿さまに、いいお祝いを上げようか。今日の客人まろうど
たちへ、馳走ちそう してあげるといいからね」 と、日ごろ、父の目をくらまして飼っていたこの小冠者が秘蔵の軍鶏しゃも
── 例の街の鶏合わせでよく勝って来る獅子丸ししまる
を、なんの惜しみもなく、自分でひねって、清盛の前に、提げて来た。 「あ。いつぞやの、獅子丸か。・・・・それを、今日の祝いにと、つぶしたのか。・・・・おまえが、おまえが?」 「うん・・・・」
時忠は、にっこりした。 清盛は、呆れ顔だった。まだ十六でしかないこの小冠者に、気を呑まれた形である。世間で怖こわ
い者は、父忠盛のほかには知らない彼であるが、よほど驚いたものらしい。なにしろ持ったばかりの新妻の弟である。そのチビにして、これほどでは、やがて北の方たるわが女性にょしょう
にも、自分がまだ知らない本質がどんな風に出てくるやらと、その末おそろしくなって来たものとみえる。 |