〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-\ 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (一) ──
ち げ ぐ さ の 巻

2013/02/04 (月)  源 氏 の 父 子 ・ 平 氏 の 父 子 (二)

父為義から、いいつけをうけとると、彼はすぐ立ち去った。そして獄舎部ひとやべ の武者や雑色ぞうしき を呼びたてて、きびしい取調べを行ったらしい。
ほどなく。── 義朝は、庭かがりのわきに、ひざまずいた。
「連れて参りました。佐藤殿のお召使と、喧嘩けんか 相手の、由井五郎と申す武者を」
ひとりは、 義清の郎党、源五兵衛に違いなかった。
袋叩きにでもなったように、源五兵衛の顔は、はれ上がっていた。主人 義清のすがたを、思いがけなくそこに見て、彼は、ただ泣いてしまった。
「五郎は、たれの手の者か」
と、為義は いていた。
御次男義賢よしかた 様の手の者 ── と答えた。
「喧嘩の仔細は」
と、また訊くと、義朝が、調べたところを、次のように、話した。
今日のひる ごろ、羅生門を通った源五兵衛が、そこを守っていた義賢の部下にとがめられた。
奉書らしい文包ふつづ みを、大事そうに持っていたので、見せろといい、見せぬという。
── それから感情になって、なぜ見せられぬのかというと、これは、さるお方のお歌の返しである。歌など御覧になっても、お分かりはあるまい ── と、一方が言ったとある。
「で、どうしたのか」
「由井五郎が、やにわに、奪って、足で、踏みつけたものですから、佐藤どののお召使は、怒って、これなん、待賢門院の紀伊ノおつぼね より、主人 義清へ、お歌の返しなるに。 ──泥にされて、主人へ、何の面向おもむ けやある。と れ狂うのを、羅生門の同勢、もながかかって、足蹴あしげ 、袋叩きの目にあわせ、獄へ投げ入れたものと分かりました」
「そうか。・・・・義賢を呼べ」
呼ばれて来た次男は、まだ二十歳はたち にみたない小冠者だったが、為義は、部下の乱暴は、なんじの罪であると叱って、座を立つやいな、縁から庭先へ、蹴落とした。
そして、客の 義清に向かっては、
「由井五郎も、次男義賢も、そこもとの御成敗ごせいばい におまかせする。紀伊ノお局へは、自分がお びに参上して、罪、為義にある由を申し上げておこう。・・・・お召使には、まことに、御災難だった。遺恨に含まず、どうか忘れてもらいたい」
義清にとっては、むしろ、思いのほかな解決だった。もちろん彼は、義賢とその部下のために、言葉を尽くして、詫びをとりなした。
あるいはと、万一な不吉を予期されたそこの門から、佐藤 義清は、ともかくも、無事に、危地の郎党を、助け取って帰った。
彼の主人としての愛情を、源五兵衛が、どんなにありがたく思ったかは、言うまでもない。夜は寒かったが、主従の心は暖かだった。
「さすがに、由緒ゆいしょ ある者、雑武者ぞうむしゃ の家には見ぬしつけだ」
義清は、心のうちで、為義の人物には、そう感心していた。けれど、反面に、なおおそろしげな予感が、ぬぐい去れなかった。
彼らは、明らかに、臥薪嘗胆がしんしょうたん している。祖父義家が、かつて、公卿たちから めさせられた生涯の屈辱を忘れていない。要するに、地底ちていりゆう だ。つねに風雲を望んでいるものであることは、あのきびしさに見るも明瞭めいりょう である。
洛陽らくよう の深夜に、なお悲歌は聞こえず、月は人の眠りとともに、しずかに、雲間に横たわっているが、これが、幾十年もの都のすがた とは、彼には見えなかった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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