〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-\ 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (一) ──
ち げ ぐ さ の 巻

2013/02/04 (月) 歌 使 い (二)

人びとは、義清の悠長ゆうちょう さに、あきれた。
武者のくせに、歌の才などある人間は、やはり大事な事にぶつかると、こんなものかと、さげず みたい顔つきが、すべてであった。
「え。朝までに、連れて戻るって。・・・・義清、わぬし、相手を、知っているのか」
口に出して、なお、はら からその無謀をいさめたのは、清盛だけだった。
先は、六条判官為義。決して、われらに好意的な一族ではない。むしろ、何事かあったらと、常に落度をさがしている敵手といってさしつかえない。
思うてもみ給え。かつては、彼ら、坂東ばんどう きの源氏武者が、白河のちょう の下に、院の北面に、威勢を誇っていたものではないか。
後にまた、白河に まれて、院から排され、外官げかん となって、今日に及んでいるが、その地位を今、彼らに取って代わっている自分たちへ、為義らが、こころよ く思っていないことは明白だ。公務上にも、個人的にも、事ごとにうまく折り合えていない平常に見ても分りすぎている。── 何としても、相手が相手だ。どんな陥穽かんせん が待っていない限りもない。単身、判官屋敷へ掛け合いに乗り込むなどは、危険、この上もない。行くなら、自分たちもともども行ってやろう。こちらも、武者所の名と実力を示して行くべきである。
清盛は、そう言って、
「みな、来いっ。義清に加勢して、義清の郎党を、取り返しに行こうっ。六条判官へ掛け合いに」
と、同意を求めた。
「おうっ ──」 と、こた えた幾人かがある。 「おもしろい」 と、長柄ながえ を押っとる喧嘩けんか ずきもいた。わらわらと、外へ出揃った。いうところの、為義方の感情は、実は、こっちにもある感情なのだ。彼らの血を駆りたてる素地は日ごろにもできている。同勢二十余人、清盛を囲んで、行こうぞ、行こうぞ、と押し声を作った。
「ま、待ってくれい。待ち給え」
義清は、うごかない、かえって、さえぎるように、両手を広げ ── 「よしないことで、騒ぎ立てては大人気おとなげ ない。わけて、御幸のお道すがら、おそれ多いことでもある。わざわい を起こしたのは、自分の朗従、主人ひとりで掛け合いはこと足りよう。おのおのには供奉ぐぶ のお役目こそ大事なれ。ただ知らぬ気によそお うておわせ」
と、かえって人びとの妄動もうどう をたしなめた。
そして、清盛の躍起も、大勢の気負いも、迷惑として振り切るように、彼は、小童こわらべ ひとりに松明を振らせ、ただ一騎で、雨の闇へ馳せ消えた。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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