洛南
の伏見竹田は、上皇がお好きな離宮の地であった。桂川かつらがわ
、加茂川かもがわ 、二水の景を一庭てい
に取り入れて、鳥の音も幽かす
かに、千種ちぐさ の姿もつつましく、あるがままな自然を楽しむのみならば、四季いつということもない。 が、上皇は、ここになお、一精舎しょうじゃ
を、建てられた。そして本尊に、御自身の念持仏ねんじぶつ
── 胸に卍まんじ の彫ってある阿弥陀あみだ
如来にょらい 像をおさめて ──今生の衆生しゆじょう
の結縁けちえん と、来世の仏果ぶつか
のために施与せんというのが、安楽寿院創建の御願ぎょがん
とされるところらしい。 世に 「白河の佞仏ねいぶつ
政治」 と言われたほど、白河天皇は、仏事にふけり、高野への行幸は四回、熊野へ八回、伽藍がらん
の建立や、諸寺へ寄せた仏像仏画、七宝塔小塔などのことは、一代、おびただしいものであった。のみならず、殺生を禁断し、魚網を焼かせたいなどの令もあって、庶民のうらみを求められ、一面には、山門の僧団に、今日の暴威をふるわせる大きな素因を作ってしまわれたので、鳥羽上皇には、その点、ふかく戒心はしていらっしゃる。 それにしてさえ、近年、三十三間堂の建立をはじめ、法金剛院の三層塔とか、北斗堂、そのほかの大造営や修理に加え、鳥羽上皇の諸寺への御幸は、年毎に多くなっている。また、白河の代に似て、仏教の繁昌は、いやが上に、山門の驕おご
りを助け、五畿ごき は、宛えん
として、仏教国の観かん があった。 今度の安楽寿院の金堂こんどう
の落成につづいても、次には、さらに三層の多宝塔たほうとう
を建てられる思し召しがあった。久しく閑役にあった中御門家成は、御幸に召されて、その建立の立案や奉行のことに、参画せよという内命を受けたとも聞こえている。 何にしても、伏見御幸は、空前な賑わいであった。 御式ぎょしき
を、見ようとして、集まる男女。また、供養の施物せもつ
に、蟻あり のように寄る窮民の群れ。 貴紳の馬車、僧衣の列は、蜿蜒えんえん
と尽きない。── 沿道も、川すじも、特に、竹田の里の附近は、武者所の面々が守りにつき、夜は、大篝おおかが
りを、諸所に、焚た いていた。 駐輦ちゆうれん
は、二夜ふたよ にわたった。 二日目は、夕方から小雨となり、さしも人出を見た盛事も、うそのように、ひそまり返り、寒々と、しぐれる闇を、真新しい金堂の荘厳が、遠篝とおかが
りの光に、夢かのような明滅を大きく描いているだけとなった。 「やれやれ、ようやく、落着けたか」 武者たちは、仮屋かりや
仮屋で、いまが晩おそ い夜食だった。賜酒ししゆ
はあったが、きのうから、飲む閑はなかったのだ。狩衣かりぎぬ
の者は、狩衣を火に乾かし、具足の者は、具足を解いて、土杯かわらけ
を、飲みまわすもあり、糧かて
を食べ始めている者もある。 「うわさは、ほんとなのかも知れないな。ついに、源ノ渡は、供奉ぐぶ
のうちに、見えもしなかった」 「渡? ・・・・。 あ、袈裟けさ
の良人おつと か。その渡が、どうかしたのか」 「うム、御幸のまえに、花園殿はなぞのどの
(左大臣源ノ有仁) まで、暇ごいに、まかり出たので、花山殿には、御意見あって、止められたそうだが、やがて、院の別当へも、辞表を届け、それきり都に姿を見せぬという、はなしだが」 「ほ。何を、思うて」 「いうまでもない。妻のあだ、遠藤えんどう
盛遠もりとう を討たずにはと、怨念おんねん
にかられて、旅立ちしたにちがいない。街まち
を歩けば、あれが、妻を殺められた男よと、人に指さされるのも辛い ── と言っていたそうだ」 「盛遠が捕われるのは、いつの日やらわからぬし、そういう気持になるかも知れぬな。おもえば、盛遠も、どこまで罪業ざいごう
の深い男よ。なお、生き心地もあらず、生きつつおろうか」 「高雄の奥に隠れたとか、いや、熊野路で見たとか、うわさはまちまちだが、生きていることは、確からしい」 ここでは、世間雑談。木の間をもるかなたの灯は、上皇をめぐる公卿、僧正、女房たちの歌合せの集つど
いでもあろうか。離宮の大殿おおどの
に、管絃かんげん の音もなく、墨のような夜を、ただ雨が白い。 「この囲いに、義清は、おるまいか。──
たれか、佐藤義清を、見ないだろうか」 その時、平太清盛の顔が、外から、内をのぞいて、こうたずねた。 彼が、飲む口なのは、みな知っている。まあ、はいって、酌く
み給えと、声々に、言ったが、清盛は、顔を振って、 「いや、それどころではない。よくは分からぬが、今日の午ひる
ごろ、洛内洛外の境、羅生門らしょうもん
の守りについていた検非違使けびいし
の手の者と、佐藤義清の使いの男とが、喧嘩けんか
して、義清の召使は、拉致らち
されて行ったということを ── たった今、耳にしたのだ。おそらく、義清は、知らずにおるのではあるまいか。・・・・と思うて、探しておるが、見当たらぬのだ。たれぞ、心当たりのある者は、はやく知らせてやってくれまいか」 ひとごとならず、心配して、いうのである。 仲間思いというか、彼が、勤務上のずぼらも、院の他部局などの不評判も割引されて、同僚たちから、常に平太平太と、支持されているゆねんも、こういうときの、彼の、まるっこい眼が、実に、本気になって、友のために、気をもみぬくようなところにあった。その性情に、人も動くのだった。 「なに、羅生門で、喧嘩したのか。羅生門からひかれたのでは、ちと、やっかいだぞ。それは、一刻も早く、義清の耳へ入れてやらねば・・・・」 彼の本気に燃やされて、人びとも立ち騒いだ。雨に中を、手分けして、心当たりへ、すぐ四、五人は駈けわかれた。 |