朝。──兄弟たちは、こもごもに、父忠盛の居間へ、あいさつに出る。 いちばん下の、幼い家盛へ対してすら、父の方でも、ていねいに、礼を受けて、何か、朝の一言
を、元気に言ってやる。武者の家のしつけであり、ことに、母のいない子らにとっては、これが、太陽と供に、彼らの朝を、ほがらかにした。 清盛は、前日の使いのおもむきを、ちちへ答えていた。 「時信様からは、べつに、御返書はございませんでした。穀倉院には、おいでにならず、丹波口のおやしきまで、伺いました。いや、あの辺は、実に、分かりにくい土地で・・・・やっと尋ねあてたほどです。夜に入るまで、馳走ちそう
にあずかり、くれぐれ、よろしくとのお言葉で」 それから、途中で会った鳥羽の僧正の言こと
づても伝えたりすると、忠盛は、 「僧正には、あいかわらず、お絵を描いて、独ひと
り楽しんでいらっしゃるとみえるの。・・・・右も左も栄花を競う権門の中にお生まれあって、望めば、得られもするお身でおわしながら」 と、つぶやいた。自分の籠居ろうきょ
の心境に、くらべて、ひそかに、恥じるような容子ようす
にも見える。 「天性、よほど、変った生まれつきのお人と見えますな」 清盛は、かんたんに片づけた。── 父のそんなつぶやきは、ちと、あてはずれであった。時信の家庭や時子のことなどについても、もっと何か訊き
くものと予期していた。結婚の下ばなしに触れるものと思っていたのだ。── が、期待に反して、忠盛は、それには触れてこなかった。 「ときに、院におかせられては、近くまた、安楽寿院あんらくじゅいん
へ、御幸みゆき あるやにうけたまわるが」 「はい、十月十五日朝の御発輦ごはつれん
で。・・・・このたびは、金堂こんどう
の落慶式らっけいしき もおありなので、伏見の離宮に、ふた夜三夜みよ
は、お泊りとか伺うています」 「武者所も、忙しいのう。忠盛が、退いたあと、怠りはあるまいが、そちも一倍、精出して、お仕え申せよ」 「やっております。・・・・が、何せい、北面の者どもは、こころ、平たい
らかでありません。父上を、よい例として、日ごろの不平がうずき出しています。先の例では、源ノ義家が、奥州の反乱に向かい、数年、遠征の苦をなめて、凱旋がいせん
しても、廟議びょうぎ で、私闘だと決められたため、恩賞も出ず、ぜひなく義家は、自分の領田りょうでん
の物や家産を売って、やっと、大勢の部下をなぐさめたでしょう。──近くは、父上の場合でも、西国の賊徒を討っての御帰洛ごきらく
は、いかにも、晴れがましくはありましたが、恩賞といっては、兵に分けるにも足らないほどでした。──依然たる貧乏だけが、確実な、残り物であったわけです」 「武者の本来。ぜひもあるまい」 「公卿どもの本来でしょう。武者には富を持たせまい、永劫えいごう
、地下人ちげびと におくべきもの
── という政略が、いまは、北面どもにも、父上の例に見て、余にも、明白なのです。身の将来にも、おのおの、考えられずにはいられなくなって来て」 「まアよい。公卿に仕えるわけではなし」 「が、公卿は、われらの殺生を握っています。仕えるお方の、おん名をもって、うごかします。われらは、仕えるお方とは、口をきくことも出来ません。どうにも、ならないではございませんか。・・・・だから、このところ、目に立って、武者所も、惰気だき
にみちています。やはり父上が、御出仕なくば、だめでしょう」 「時でない。いや、忠盛がいては、なお、よくない」 「久しく、遠ざけられていた、六条の判官ほうがん
源ノ為義ためよし が、ふたたび、院に戻るであろうとか。内大臣頼長から、上皇へ、おとりなしがあったとか。そんなうわさも、一因をなしておるようです」 「平太、出仕がおくれるぞ。朝は、すがすがと出かけるがいい。・・・・ことには、大事な、御幸のまえ」 「お気色けしき
を損じたらお許し下さい。── 行って参ります」 清盛は、家を出た。父が退いた後も、かれのみは、日々、院へ出仕していた。── 父の籠居ろうきょ
も、以前の引っ込み思案とは趣おもむき
が違い、今度は何か、不屈な眉色が見える。朝な朝な、その父を信じて、清盛は、足を踏みしめた。 |