「あぶない。・・・・ほら、また水たまりだよ」 時忠
は、松明たいまつ を、清盛の足もとにさしのべた。のべつ、注意を与えながら、大藪道おおやぶみち
の夜を歩いて行く。 清盛は、酔った。ほんとに酔っている。 ── 大丈夫、お送りなどは御無用と、かたく辞したが、時信もあやぶむし、第一、姉姫の時子がきかなかったのである。 (弟よ、時忠よ。お客人まろうど
を、西七条の畷なわて のあたりまで、お送りしておあげなさい) 清盛が、そこを辞して帰るころには、この姉姫も、どうしてどうして、そう、露おもたげな深窓しんそう
の花の風情ふぜい だけではなかった。笑いもするし、はきはきと答えもする。気のせいか、自分を見る眼も艶えん
にちがう。 ──だが十九だ。清盛は、妙に、年にこだわった。何だか、姉みたいな気がするのである。瑠璃子るりこ
の印象に重なるせいかも知れないと思う。しかし明朝、父忠盛の前でする答えはちゃんと肚はら
にきめていた。 時子の器量や性質は、八点ぐらいとしても、彼が、満点を与えて、愉快に思ったのは、姉妹の間の ── 今年十六という弟の時忠 ── あの小冠者であった。 「おいっ、獅子丸ししまる
」 と、わざと呼んだ。おもしろ半分に、松明を振り動かしてばかりいた小冠者は、清盛の濁音だくおん
をはね返して、間髪かんぱつ に、答えた。 「なんだ。ヘイライ」 「おや、おれは、布衣ほい
だぞ。ヘイライとはちがう。狩衣かりぎぬ
をみい」 「ヘイライに、毛のはえたのが、ホイだろう。なんだ、ホイ小父」 「おまえは、すれているな。街で、鶏とり
合わせばかりやっているんだろう」 「小父さんだって、賭か
けたろ。同罪じゃねえか。うちのおやじ、何か、きいたかい」 「はははは、おれの卵みたいな奴が、ここにも一匹いやがった。おもしろいぞ、なんじは」 「何の卵だって」 「蛙かえる
の卵だよ」 「それじゃあ、お玉杓子たまじゃくし
じゃないか。獅子丸を抱いてきて、突っつかせるぞ」 「あやまる、あやまる。おい、手を出せ ── 。ここは西七条の畷、おまえと、手を握っておこう。生涯の交まじ
わりの誓いに」 北山あたりから冬を持ってくる風が、昼見たあわれな家々へ、無慈悲な木の葉をぶつけてゆく ──。清盛の影もよれよれに吹かれながら遠のいて行った。あとの畷のやみには、いつまでも、小さい焔ほのお
を振っているのが見える。 たれが思い得たろう。後年、六波羅の平家一門中、権謀むしろ入道清盛をこえて、世に “?紳しんしん
の?きょう ” と怖れられた平へい
大納言時忠こそ、実に、良家の一不良 ── この日のお玉杓子であろうとは。 |