〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-\ 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (一) ──
ち げ ぐ さ の 巻

2013/01/30 (水) 鳥 獣 戯 画 (四)

「まことに、おうらやましい御生活ですな。お会いするたびに、思います。僧正のように過ごされてこそ、ほんとの、人間の生涯。自然とともにある生命と申すものであろうと」
「うらやましければ、あなたも、すきのように、生きたがよかろうによ。ひとをうらやんで、自分ではせぬかな。わからぬのう」
「なかなか、やさしいことではござりませぬ」
「そうかのう。・・・・山に住めば、都を恋い。都に住めば、山を恋う。アハハハハ・・・・果てしがないかのう?」
「── ア。僧正。お描きかけの絵が、風で飛び散ります」
絵反古えほご か。あ、 っとけ。・・・・客人まろうど 、きょうは、紅葉見もみじみ か。歌でも、お拾いか」
「いや、仁和寺まで参りました。先ごろの、御幸のあとの、御用もおびて」
「ホ、そうか。よう競馬ばかり御覧ぜられるの。やがてものものしゅう、世をあげての、人間の悪さ比べにならねばよいが、武者所など、さしずめ、悍馬かんば奔馬ほんば 、じゃじゃ馬などの、集まり所。・・・・こわいのう」
ふいに、蔭部屋かげべや をふり向いて、僧正はわめいた。
わっぱ よ。いいつけておいた柿はまだか。──客人まろうど に、柿などもいで来て、もてなさぬか」
いら えはなく、山荘の裏の方で、何か、ひそひそ、人声がしていた。
と、庭を回って来た青侍が、縁先にひざまずいた。──いま、近くに住む石切たちが、色を変えてしら せに来たと、伝えるのであった。──それによれば、けさから、この付近に、風体いふうてい の男がうろついており、狩衣の片袖かたそで は破れているし、 はだしで、なんとも、 に落ちないところから、それとなく挙動を注意していると、一たんは、槙尾まきのお の密林に隠れて、手に大事そうに抱えていた物を、地へ けようとする様子であったが、人の気配をさと ると、高雄の奥へと、飛鳥のように、隠れ込んだ ── というのである。
「なんぞよ、それが・・・・」 僧正は、興もない顔つきを示して。
「つまらぬことに、かか ずらうな。追うつもりか、そのような者を」
「は。・・・・とも思いませぬが、石切りどもが、夜盗ぞ山賊ぞと、捕えたがって、騒ぎますので」
「やめよ、やめよ。俵も風に舞わねば食えぬ世間とか、みながいとう。盗人も、かせぎのたびに捕まっては、その者は、獄で食えても、盗人の妻子は、生計たつき がたつまい。・・・・のう、客人まろうど
義清は、ふと、物思いに、とらわれていた。軒ばごし、高雄の峰の雲でも見るのか、遠心的なおも もちであった。── 何かいま、答えそびれをしたような気持をしお に、長座ちょうざ を詫びて、彼はまもなく、山荘を辞した。
鳥の食いのこした山柿が、晩秋の空に、真っ赤だった。峰の雲には、石切りののみ の音が、冷やかに、こだましていた。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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