〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-\ 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (一) ──
ち げ ぐ さ の 巻

2013/01/28 (月)  びと さ か も り (三)

踊る者があり、歌う者があれば、また、一隅いちぐう では、怒色どしょく をなして、酒に、うつ をいわせている者があるのも、人間講とすれば、やむを得ない。
「いや、分かっている、殿は、何も言われぬが、いわぬお心を、おれは むのだ。おれは、こよいの御酒を、なんだ なしには、いただけぬわい」
「またしても、またしても、院の公卿どもが、いい合せて、上皇と殿との、おん結びを、盛遠追捕の不首尾にことよせ、裂こうと企てておるらしいぞ」
「あな、うつけ。──らしいとはなんぞよ。らしいとは。殿のおはら がわからぬか。殿は、またお引きこも りと、きめておるによ」
非違ひい もないのに、なぜ、わが殿は、さまで。お弱気なのやら。・・・・おれは、たまらぬ、ごう える。まるで、しゅうと小姑こじゅうと みたいなあく 公卿くげ どもの、もやもやを、見ておられる上皇も上皇だ」
「これ、様をつけて申せ。様をつけて」
「なんのざまはない上皇ではあるぞ。殿を、正しい者と、信じて、お愛しなるならば、側近のそし りやへだ ても、なぜ、一蹴いっしゅう してはくださらぬか。そのようなこともなく、殿が、御出仕あれば、ちょう を示され、公卿くげ ばら が、そね み出すと、見えすいた陰謀も、知らぬお顔というのでは、殿が、生殺なまごろ しというものだぞやい」
「もう、言うな、天下の政治は遊ばすが、院中の佞官ねいかん すら、ままならぬものがおありなのだ。・・・・殿は、自分のために、その上皇さまを、お苦しめ申しては相すまないというお考えにちがいない」
「そこが、殿上輩でんじょうばら の、つけこみどころよ」
「とく、昇殿は許されておるが、身はなお、地下人ちげびと においている気持 ── とは、つねに殿が仰っしゃっているおことばだ。それは、おれたちへ、いっていることでもあるぞ」
「ではなぜ、昇殿など、許し召されたか。おれは、上皇に伺ってみたい。鳥羽殿とばでん のおんまくらかよ えよかし、おれは、ここから怒鳴るぞ。怒鳴ってやる」
「ば、ばか」
口をふさぐ、顔を振りぬく。手と手で み合う。杯が酒を流す。── それを、清盛は、そら耳のように聞いていたが、やおら、身を起こして、その一かたまりの中に座り込むと、
「やい、地下人らめ、何をグタグタ泣きごとを言うぞ。わいらは、かえる ほども、へび ほども、知恵のない奴か。よく思え、百千種ももちぐさ も、春の来ぬうちは、地下草ちげぐさ だぞよ。地の下のものだぞよ」
と、両方の手をいっぱいにひろ げて、そこらにいた人間の頭を四つ五つ、一抱えに、ひざと胸とに、抱きしめた。
「まだ、わいら、観念がたらないぞ。ああ、地下草。よろこぶべし、 こそまだ見ね、地下草なのだ。おれたちはナ。・・・・な。・・・・なアやい、不服か」
頭と頭は、清盛の腕の中で、腕の力が締めゆる められるたびに、ゴツンゴツン、音をさせ、目から火が出るようなカチ合わせをさせられていた。痛いと逃げる頭もなく、なすがままになっている。うんも、すんも、みな言わないのである。そして清盛の一つひざへ湯のような涙を流し合うのだった。
男くさい、酒くさい、異様な涙の れた鼻をつかれながら、清盛は、親鶏おやどり が腹の下へヒヨコを抱え入れたときのように、昂然こうぜん と、杯を招いて、ひと息にのみほした。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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