晩
い夜食とはなったが、秋の夜は長い。 ことには、この家として、めずらしい大振舞いとおうべきである。 忠盛は、家の子郎党から、留守していた小者までを、広床ひろゆか
の一間に寄せ集めて、 「思いのまま、飲んでくれい」 と、一同へ、酒瓶をひらいた。非常の備えに貯蔵してある塩魚や漬物つけもの
も、開けさせて、こう言った。 「昼夜、七日の辻立ち、さぞ疲れたことだろう。今宵は、当然、院のお庭で、一統に、御酒も賜るべきを、この忠盛に、不つつかがあったため、御門へすら、入ることなく、かくは引き揚げてしもうたわけ。──忠盛の不徳は、そちたちへ、こう詫わ
びるぞ。いつかは、みなの骨折りにも、きっと酬むく
ゆる日もあろう。今は、あるかぎりの酒、忠盛の謝あやま
り酒ぞや。夜を更ふ かすとも苦しゅうない。思うがまま、飲み歌うて、卑屈にならぬ武者胆むしゃぎも
を、養うてくれい」 「・・・・・・・」 しばらくは、声なく、みな首をたれていた。 およそ、span>宮苑きゅうえん
や公卿の第宅では、管絃かんげん
の音ね と歓酔かんすい
のない夜はなかったが、地下人ちげびと
のまた下僕たるこれらの人々の中では、酒に会うことなど、まれであった。行儀は、粛しゅく
と構えているが、匂にお いにすら、腸はらわた
が、鳴くのである。 それへの自然な欲望と、忠盛のしみじみという労いたわ
りとに、郎党たちの感情は、瞼まぶた
に熱いものをもった。泣いて飲む酒もまた味が深い ── とするように、そよと、晩秋の夜気が、燭しょく
をまたたかせた。 「あれ見よ。貧乏でよいものは、庭面にわも
の風情ふぜい だけだ。生お
うるがままな秋草の丈たけ は、なんと、われらの風流にふさわしいではないか。さあ、飲もう、みなも、酌み合あ
え、酌み合え」 忠盛は、院でも、大酒家の評があった。人々はみな杯をとった。清盛も持った。 「── 父上」 「なんだ」 「平太も、今宵は、父上の半分ほどは、飲んでもよろしゅうござりましょうな」 「う・・・・。うム?・・・・が、なあ平太」 「は」 「飲むはいいが、六条裏へは、余りには行くなよ」 「やっ!
こ、これは意外な」 清盛は、頓狂とんきょう
に、頭をかいた。それがいかにも、初心うぶ
な肉欲の赤面をあらわしていたので、満座の表情は、どっと、笑いに変った。忠盛も、めずらしく、声を発して、笑った。 (たれが、いつのまに、父の耳へ?) 眼をすら、まごまごと、清盛は、いつまでもてれていたが、これほどいる家人けにん
のうち、中には、こっそり六条の遊女あそび
町を、のぞき歩いている郎党もいないとはかぎらない。 抗弁は、無益と、彼は急にごまかしにかかった。 「平六、平六、何ぞ歌え。近ごろ街では、面白い歌がはやっている。あれを歌わんか」 「和子様こそ、う歌いなされ。六条裏で、覚えたお歌でも」 「やア、何をいうぞ。父上の戯ざ
れ真似まね などして」 ──
こうなれば、もう無礼講だ。無礼講とは、つまり赤裸を見せ合う人間講のことである。 突とつ
として、末座の方から 「このごろ都にはやるもの・・・・」 という今様いまよう
を歌い出す者があった。たちまち、大勢がそれに唱和する。鉢はち
をたたき、手拍子てびょうし をそろえ、清盛も歌う、忠盛も歌う。 舞う
──踊る ── というような行為を、この時代の人間は、特別な自分を示す意識ではしていなかった。殿上でんじょう
でも、陛下の前でも、この通りなことはあった。田植え、耕作のあいだにも、百姓たちは、すぐ舞った。飯を食い、水を飲む意欲と、同じにである。田楽舞でんがくまい
は、それから起こったものといわれている。 すこし、余談になるが── やはりその辺へん
から由来したものであろうか、当時の道化踊どうげおどり
にあわせてうたう歌謡のうちに 「蝦漉舎人之足仕えびすきとねりのあしづかい」というのが新猿楽記のうちに見える |