〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-\ 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (一) ──
ち げ ぐ さ の 巻

2013/01/28 (月)  びと さ か も り (二)

おそ い夜食とはなったが、秋の夜は長い。
ことには、この家として、めずらしい大振舞いとおうべきである。
忠盛は、家の子郎党から、留守していた小者までを、広床ひろゆか の一間に寄せ集めて、
「思いのまま、飲んでくれい」
と、一同へ、酒瓶をひらいた。非常の備えに貯蔵してある塩魚や漬物つけもの も、開けさせて、こう言った。
「昼夜、七日の辻立ち、さぞ疲れたことだろう。今宵は、当然、院のお庭で、一統に、御酒も賜るべきを、この忠盛に、不つつかがあったため、御門へすら、入ることなく、かくは引き揚げてしもうたわけ。──忠盛の不徳は、そちたちへ、こう びるぞ。いつかは、みなの骨折りにも、きっとむく ゆる日もあろう。今は、あるかぎりの酒、忠盛のあやま り酒ぞや。夜を かすとも苦しゅうない。思うがまま、飲み歌うて、卑屈にならぬ武者胆むしゃぎも を、養うてくれい」
「・・・・・・・」 しばらくは、声なく、みな首をたれていた。
およそ、span>宮苑きゅうえん や公卿の第宅では、管絃かんげん歓酔かんすい のない夜はなかったが、地下人ちげびと のまた下僕たるこれらの人々の中では、酒に会うことなど、まれであった。行儀は、しゅく と構えているが、にお いにすら、はらわた が、鳴くのである。
それへの自然な欲望と、忠盛のしみじみといういたわ りとに、郎党たちの感情は、まぶた に熱いものをもった。泣いて飲む酒もまた味が深い ── とするように、そよと、晩秋の夜気が、しょく をまたたかせた。
「あれ見よ。貧乏でよいものは、庭面にわも風情ふぜい だけだ。 うるがままな秋草のたけ は、なんと、われらの風流にふさわしいではないか。さあ、飲もう、みなも、酌み え、酌み合え」
忠盛は、院でも、大酒家の評があった。人々はみな杯をとった。清盛も持った。
「── 父上」
「なんだ」
「平太も、今宵は、父上の半分ほどは、飲んでもよろしゅうござりましょうな」
「う・・・・。うム?・・・・が、なあ平太」
「は」
「飲むはいいが、六条裏へは、余りには行くなよ」
「やっ! こ、これは意外な」
清盛は、頓狂とんきょう に、頭をかいた。それがいかにも、初心うぶ な肉欲の赤面をあらわしていたので、満座の表情は、どっと、笑いに変った。忠盛も、めずらしく、声を発して、笑った。
(たれが、いつのまに、父の耳へ?)
眼をすら、まごまごと、清盛は、いつまでもてれていたが、これほどいる家人けにん のうち、中には、こっそり六条の遊女あそび 町を、のぞき歩いている郎党もいないとはかぎらない。
抗弁は、無益と、彼は急にごまかしにかかった。
「平六、平六、何ぞ歌え。近ごろ街では、面白い歌がはやっている。あれを歌わんか」
「和子様こそ、う歌いなされ。六条裏で、覚えたお歌でも」
「やア、何をいうぞ。父上の真似まね などして」
── こうなれば、もう無礼講だ。無礼講とは、つまり赤裸を見せ合う人間講のことである。
とつ として、末座の方から 「このごろ都にはやるもの・・・・」 という今様いまよう を歌い出す者があった。たちまち、大勢がそれに唱和する。はち をたたき、手拍子てびょうし をそろえ、清盛も歌う、忠盛も歌う。
舞う ──踊る ── というような行為を、この時代の人間は、特別な自分を示す意識ではしていなかった。殿上でんじょう でも、陛下の前でも、この通りなことはあった。田植え、耕作のあいだにも、百姓たちは、すぐ舞った。飯を食い、水を飲む意欲と、同じにである。田楽舞でんがくまい は、それから起こったものといわれている。
すこし、余談になるが──
やはりそのへん から由来したものであろうか、当時の道化踊どうげおどり にあわせてうたう歌謡のうちに 「蝦漉舎人之足仕えびすきとねりのあしづかい」というのが新猿楽記のうちに見える

えび舎人とねり はいづくへぞ
この江にえびなし下りられよ
えびまじ りの雑魚ざこ もやあると──
といったような歌詞で、そのことばの内容と、足仕あしづかい という意味から考えると、近世の宴会芸術によく演じられる “泥鰌どじょう すくい” なる諸大家の芸能は、すでにこのころから世に行われていたものと思われる。
著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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