〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-\ 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (一) ──
ち げ ぐ さ の 巻

2013/01/27 (日)  びと さ か も り (一)

兄の帰りと聞いて、待ち迎える、弟たちの影だった。
清盛は、それを、わが れ門とともに身ながら、馬を降りた。
ことし三つの家盛を、背中に ぶって、門の外にたたずんでいた経盛は、三男の教盛のりもり と一緒に、揃って言った。
兄者人あにじゃびと 、お帰りなさいまし。・・・・父上も先に帰っておられますよ」
「うム。七日の間も、みな留守で、チビたちはさぞさび しがっていたことだろう」
「え。教盛が、ときどき、お母さまのところへ行こうといって、泣くには、困りました」
──言いかけたが、兄の顔つきに、言葉をそらした。 「そうそう。兄者人が見えたら、すぐ奥へ来るようにと、父上が、お待ちかねのようでした」
「そうか、じゃあ、このままで、すぐ参ろう。・・・・じじ、俺の駒も、あずけるぞ」
「木工助は、手綱を託して、清盛は、母屋おもや の灯へ向かって歩いた。
さきに戻っていた郎党たちも、まだ、もの を、解いていない。
女手も少ないし、ヘイライなども召し使っていない貧乏平氏の邸内では、武者どもでも、日ごろから、百姓もすれば、馬も飼い、厨も手伝うといったふうで、今宵も、辻立つじだ ちから引き揚げて帰ると、そのままの姿で玄米こめかし ぎ、薪を割り、また、畑の芋や蔬菜そさい など採ってきて ── ともあれ大家族の晩飯のしたくに、夕煙ゆうけむり をにぎわい立てているのだった。
「平太です。ただ今、木工助とともに、おあとから戻りました」
「お、帰ったか。御苦労であったな平太」
「父上こそ、七日の御奔命に、身も心も、お疲れでしょう。盛遠でも、からめ っておればですが、そのむなしさも、手つどうて」
「尽くす限りは尽くしておる。 ゆるにも及ぶまい。盛遠とて、根からの痴愚ちぐ ではなし、辻かための手にかかるほどなら・・・・」
「やはり、どこかで、自害して、果てたものでございましょうか」
「なんの、おそらくは、死んでおるまい。そう、やすやすと死ねるほど、浅い罪業ざいごう ではないからな。・・・・いや、時に平太、そちならではの用がある」
「あ、なんぞ、急な仰せ付けでも?」
「いそぎだ。うまや のうちの馬を一頭、街へ出して、売って来い。そして、買えるだけの酒を買うて来てくれまいか」
「馬を・・・・ですか」
「うム。どのくらい、酒が買えるの
「そりゃあ、たいへんです。わが家の同勢では、三日かかっても、飲みきれません。・・・・が、このお使いは、平太でも、ちと、きまりが悪うございます。馬を売るのは、武者として、何よりの恥としてありますから」
「それだから、おまえをやるのだ。つら恥に って来い。あたい によらず、早いがいいぞ」
「はい。では・・・・」 と、清盛は父の部屋から、すぐ、厩へ行った。 ──七頭いる馬のうち、三頭ほどは、自慢のものだ。あと四頭のうち、どれにしようと見くらべるが、可愛くないのは、一頭もいない。
あわれ、駄馬だば といえども、これらの馬どもは、過ぐる年の、西国遠征のときも、生死をとものした仲である。どのハナづらも、朝夕に、何百ぺんなでてきたやつか知れないのだ。
日ごろ、塩小路のわんわん市場の付近では、馬市が立つのを知っている。清盛はやがて、そこでよく見る博労ばくろう に家へ行き、馬を売って、酒を買い求めた。──大きな酒がめを三つほど、手車の上に乗せ、酒売りの男と一緒に押しながら、ほどなくまた、今出川へ帰って来た。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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