〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-\ 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (一) ──
ち げ ぐ さ の 巻

2013/01/26 (土)  じょう ぎん (二) 

どんな用でも、だれであろうと、ここは通るを、許さない。
もと、つかびと だった者が、街で事件を引き起こした。そのため、あらぬ疑惑を上西門院に向けられては、内親王へ、おそれ多い。──帰り給え、戻れ──と、衛府の侍たちは、名も問わず、用件もただ さず、ただ、さえぎった。
「いや、まか り通る」 ── く男ではない。清盛も、頑張がんば った。
「そこの侍所まで、火急な用があって、参らねばならぬ者」
と、まゆたか く示し、
「いわいでも、お分かりだろうが、鳥羽院の臣でござる。なんで、内親王さまに、御迷惑をおよぼすようなことを ──」 と、理屈をこねた。性来、はなはだ理屈ベタの彼である。その不得手をこねようとすると、顔ばかり染まり、いたずらに筋肉が隆起し、何か、精悍せいかん をあらわすのであった。いやに戦闘的な男とは、当然、誤解されやすい。
め始めた。 ── 彼一人と、十四、五人とで。
すると、上将らしい年配の武者が見まわって来た。しばらくは、ながめていたが、やがて清盛のうしろへ立ち寄り、彼のよろい の背を、一つたたいた。そして、言う言葉は、さっきの雑武者呼ばわりよりは、もっと、子どもあしらいだった。
「平太ではないか。何を ざいておるのじゃ、何を。・・・・小生意気に」
「あ。・・・・これは」 と、清盛も、その人には、青筋を、ひそめた。──とたんに、二月きさらぎ ごろの寒風と、かなしい日の、 き腹や、いまいましいぜに などが、頭のうちに、ちらついた。
「叔父上でしたか。・・・・ああなるほど、これは叔父上のお手勢ですな。そういえば、見た顔の家人けにん もある」
表面の萎縮いしゅく とは別に、内心は、よけいに業腹ごうはら えた。こいつらは、俺を俺と知って、あしらっていやがったなと、はじ を、新たにしたからである。
兵部省出仕の平ノ忠正。この人と、叔母を思うと、すぐ銭の顔が、頭に かぶほど、その堀川のやしきへは、金借りの使いにばかりやらせられ、両親のたな下ろしと、いや味と、愚痴の百万べんをよく聞かせられたものである。したがって、叔父の眼にも、貧乏神の餓鬼がき みたいに、平太が見えるに違いない。子世盛は、そう、ひがんだ。宿命的に、この叔父の前だけでは、人の子のくず みたいにされ、ひがみ者として、置かれてしまう。
「なにが、なるほどだ。何がよ・・・・平太。このごろは、ケロリとして、堀川へも、顔を見せんではないか。もっとも、おまえに来られて、一ぺんも、ろくなことのあったため しはないからの。・・・・・ぶさらも、まず、めでたいが」
清盛は、羞恥しゅうち した。鳥羽院の武者所を って、堂々と、一人前な男を誇示していた手前にである。穴があれば、はいりたい。
「いけないでしょうか。・・・・どうしても」
面目も捨て、意地も捨て、おい として、すがってみた。忠正は、ざっと、部下から聞き取って、清盛のねばる目的が、何にあるかを、すぐ看破したらしい。
「いかん。相ならぬ。なぜ、おまえは、反抗するか。忠盛殿も、よう、くそ意地を張る男だが、つまらぬ貧乏性に、おまえも、似るなよ。帰れ」
と、言い放した。それとともに、いかなる貴人の御車みくるま を見たのであろうか。あたふたと、上西門院の、門のまぢかへと、大股おおまた に歩み去った。忠正はそこで、牛車くるま ぬむかい、礼をしている様子であった。
著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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