〜 〜 『 寅 の 読 書 室 Part T-\ 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (一) ──
ち げ ぐ さ の 巻
2013/01/25 (金)
馬
(
ば
)
上
(
じょう
)
吟
(
ぎん
)
(一)
盛遠の行方は、
杳
(
よう
)
として、分からずじまいになりそうである。
凶行の夜以来、それらしい影を見たという者も出ない。
辻見張
(
つじみはり
)
は、即夜に行われ、
検非違使
(
けびいし
)
の手も動き、刑部付きの
放免
(
ほうめん
)
(後の
目明
(
めあか
)
しの類)
も、洛外の山野、部落まで、
嗅
(
か
)
ぎ歩いているが、何の手がかりも、もらたさない。
ところが。きょう限りに、辻を解くという、さいごの日に、
「上西門院の内が怪しい。あそこには、彼の
縁者
(
えんじゃ
)
も仕えており、むかしなじみも少なくない」
と、清盛の前で、言った者がある。
清盛は、家の子十七、八名を連れて、西ノ
洞院
(
とういん
)
一条の北、大峰の辻に、
眼
(
まなこ
)
をそろえ、ときには、
家人
(
けにん
)
を放免に仕立てて付近をさぐらせたり、往来人を
検
(
あらた
)
めたりしていたが、これを聞くと、はっとした。
「つい、足元は、おろそかに見える。盛遠はもと、上西門院の
青侍
(
あおざむらい
)
。後に、鳥羽院へ、移されてきた者だ。── あり得ること。しかも、その上西門院は、すぐ目と鼻の先でもあるのに」
奇功をえがく胸は、たかぶるものに、張りきった。
薙刀
(
なぎなた
)
を持ちかえて、
「おういっ、木工助、顔を貸せい」
と、遠いうしろの、家貞をさしまねいた。
「おれはな、ちょっと、上西門院まで行って来るぞ。辻立ちも、今夕までだが、その間、ここを頼むぞ」
「上西門院へ。はて、何しに、あなた様が」
「くさいのだよ。じじ、あの内が」
「お止めなされ・・・・」 と、木工助家貞は、顔を
皺
(
しわ
)
めて横に振った。 「── 場所が悪うござりまする。内親王さまのお住居を、
窺
(
うかご
)
うたなどと聞こえては」
「かまわぬ、何も、その
御方
(
おんかた
)
を、お疑いして行くわけじゃない」
「──が、何事にまれ、院と朝廷とのお間は、
些々
(
ささ
)
たることも、間違うと、思いのほかな大事にたちいりやすいこと、おわきまえで、ござりましょうが。構えて、足ぶみせぬが、
賢
(
かしこ
)
うござりますわい」
「いやいや、俺は行く。聞けば、
衛府
(
えふ
)
の
輩
(
やから
)
は、おれたちの
迂
(
う
)
を
嘲
(
わら
)
い、自分らの手で
捕
(
と
)
ってみせるといいおるそうな。──意地でもある。盛遠は、この手で、
捕
(
とら
)
えて見せたいところだ。盛遠もまた、どうせ
捕
(
つか
)
まるなら、俺の手にかかりたいと念じているやも知れぬ」
あやぶむ木工助を、眼の
外
(
そと
)
に、彼は持ち前の幻覚に熱していた。大きな耳たぶが、血ぶくろみたいに、赤くなる時がそれである。
「そうだ。盛遠も、のがれぬところろ、観念すれば・・・・俺を思い出しているにちがいない。この清盛を、待っているような気がおれにはする。── 木工助。父上が見まわって来られたら、さように、お告げしておいてくれい」
木工助の
危惧
(
きぐ
)
を、なだめるためか、薙刀も預け、馬も用いず、彼はわざと徒歩で行った。もっとも、すぐそこといえる距離ではあるが。
大内裏の
外郭
(
がいかく
)
をなす十二の門のほかに、べつに
掖門
(
えきもん
)
として、上東門院と、上西門院とがある。王城の森の北端、
殷富門
(
いんぶもん
)
の先に見えるのが、それである。ここには、鳥羽の第二の皇女、統子内新王が住まわれている。── 袈裟も、もとは、ここの
雑仕
(
ぞうし
)
。盛遠も、遠藤三郎盛遠といい、以前、ここの
侍所
(
さむらいどころ
)
にいたことがある。
疑いうる理由は、充分だ。皇女のお住居だからといって、除外していいものではない。むしろ、
匿
(
かく
)
まう者にも、潜伏する者にも、気強い
掩護
(
えんご
)
を思わせているかも知れないのだ。清盛は、次第に、足が
弾
(
はず
)
んでいた。
すると、清潔な大路を抱く松並木の横から、待て待てと、どなる声がした。── そこな
雑武者
(
ぞうむしゃ
)
待てと、つづいて聞こえる。清盛は、足をとめて、
「俺か・・・・」 と、わざと、
面
(
つら
)
ふくらして、振り向いた。
ここにも、衛府の侍が、
辻立
(
つじだ
)
ちしていた。天皇と上皇のおん仲の冷ややかさを映じて、武者仲間にも対立がある。── “雑武者” が
癪
(
しゃく
)
だったにちがいない。清盛は、大きな眼で、大勢を迎えた。
著:吉川 英治 発行所:株式会社講談社 ヨリ
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