袈裟
の死は、洛中のうわさとなった。いろいろな、意味、意義をもって、話題をひろげた。 彼女を、知るも、知らぬも、 「あたら、心ばえの者を・・・・」 と、悲しむ情がは、かわらなかった。 その感情で、下手人の遠藤盛遠についても、 「悪鬼か。色きちがいか」
と、いい、 「学才があると聞けば、なお憎い。あきれた痴漢しれもの
よ。憎んでも、憎み足りぬ犬畜生」 とまで、みな、誹そし
った。美を惜しむのも極端に、その反動も極端に──である。 しかし、事件への好奇や、ひとへの憎しみ、惜しみも超こ
えて、袈裟の死は、たまたま、この時代の男女が、ぼんやりとしか、持っていなかった “貞操ていそう
” の観念に、はからずも大きな眼ざめを与えた。 死をもって、貞操を守った彼女の── “女の道” のかなしさに、人々は瞼まぶた
をあつくし、その清冽せいれつ
さに、驚愕きょうがく したのであった。 だが、なんとなく、批判的に見えたのは、宮廷の男女、公卿たちであった。それに反して、わんわん市場の雑民ぞうみん
たちのこえにしても、一般は、袈裟の死を悲しまぬはない。 美しい犠牲いけにえ
と、口をきわめて、みな言った。 ── 夜々に、肉体を男に売って生きている六条の遊あそび
女たちまでが、袈裟のうわさには、ひとごとならず涙ぐみ、白粉おしろい
垢あか に、生き疲れたたもとを、濡らしおうて、 「野辺送りの日には、花を持って、鳥辺野とりべの
まで、行ってあげよう」 とさえいう幾人かがあったのは、たれもが、意外とした現象であった。 一時の感傷かと思えば、そうでもなく、果たして、袈裟御前の葬儀の日には、それらしき女たちが、衣きぬ
を被かず き、笠かさ
をかぶって、たくさんな会葬者の中に立ち交ま
じり、鳥辺野西院の荼毘所だびどころ
に、名知らぬ贈り手の花束を、いくつも残して、立ち去ったという事である。 思うに、それは、彼女たちが、個々、みずからの貞操へ、みずから手向たむ
けて、せめてもの残り香を身にもってみた慰めであり、秋の一日だったに違いない。 六条裏に、世を生きても、たれか自分を貞操のない女だとしている女が、ほんとには、あろうか。実は、彼女たちの心の奥にも、追い詰められて奄々えんえん
たる気息きそく の貞操はまだ生きていた。男たちに切り売りしているものは貞操ではない。むずかしい説教や書物に訓おし
えられないでも、女体の本質が、知っていた。時により肉体と本心を、二つに持つことを、余儀なくでも、悟さと
っている。 不幸か、幸か、彼女たちに比べて、この問題を、切実に考え得られなかったのは、後宮女性の一部や、貴族の深苑しんえん
に囲われている黒髪長き花々であった。 この世をばわが世とぞおもふ──藤とう
氏の門に咲いた花は、食う、生きるための、生活のたたかいからは、幾世紀も、庇護ひご
されてきたが、ひろい地上に根を持たないし、 “女の道” を自分の意志でひとり歩きするわけにもゆかなかった。貴族層の繁栄を続けるために、すぐれた美質は、すぐ政略や猟官の具として、贈り物の切り花につかわれ、女を自覚する年ごろには、もう制度や位階や、多くの侍かしず
きの中の身で、女ではなく、臈ろう
たけたる一個の権門の用具として置かれていた。たとえ女の自由を、恋に、振舞ってみるにしても、この世界の男性は、先天的に、女を見るのに、ちがっている。香にお
う涙をたたえては、妙たえ な奏かな
でを男にさせ、罪深く、魔性でさえある者として、快楽けらく
の戯れに抱くことしかしてくれない。──生命いのち
もなにかは、と歌い寄せる恋歌こいか
は、貫之つらゆき や道風とうふう
をまなんだいと麗うるわ しい万葉仮名まんようがな
で書かれるが、その愛が、文字の如く美しかった例は、星屑ほしくず
ほども多かった殿上人の恋のうちにも、かぞえて幾つあったろう。──ともに働いて、ともに食って、ともにいたわりあって、ともに生きて行く男女が、一体になっての、愛の生活などは、ここにはない。考えられもしないのである。 しかし、そうした春苑しゅんえん
の女性たちも、袈裟の示した貞操のきびしさには、心のどこかで、何か彼女の真性に、水を浴びせられたような、心地がしたにはちがいない。──とまれ袈裟の死は、上下を通じ、女性の心には必ずかくされてある白珠しらたま
のようなその本質へ、真実をもって、何か、ささやいいていたことは慥たしか
であった。 |