〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-\ 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (一) ──
ち げ ぐ さ の 巻
2013/01/21 (月) にい づま づく (一)

その年の秋、八月のなかば。
みなもとわたる は、院の武者所のうちでも、同年配のごく親しい友、十名ほどに、じょう をまわして、
「何もないが、ささやかに み分けたい。月見のつもりで来てくれ」
と、自宅へ、招いた。
そういっても、友だちばら にはわかっていた。──この秋には、天皇、上皇おそろいで、ふたたび仁和寺にんなじ行幸みゆき内儀ないぎ があり、同日同所において、競馬を たも うと、沙汰さた されている。九月二十三日と、予定の日まで、きまっていた。
そこで、もっと明白なのは、むなしく加茂の春競馬に、例の、青毛あお に騎乗して、名を成すべかりしを、ふと、その若駒わかごま の故障から、思い止まって、脾肉ひにくかこ っていた渡が ── 天高き秋の仁和寺競馬を、千載一遇せんざいいちぐう のときと、ふたたび手につば していることである。
「その前祝のつもりだろうよ」
友輩ともばら は、いいあった。
中には、また。
「いや、吝嗇りんしょく と思われたくないのさ。ふつう、晴れの日に出る騎者たちは、おのおの、日ごろ信仰する僧家へ行って、阿闍梨あじゃり や上人たちから、鞭加持むちかじ をしてもらい、そのあと、親類朋友を集めて、大振舞おおふるまい をするのが例になっている。・・・・ところが、渡は仏ぎらいだ。勝負は勝負に尽きる。あに、神仏の力をからんやと、よく、院のたま りでも、豪語しているだろう。・・・・で、ムチ加持振舞を、月見と称して んだにすぎない」
さらに、弥次性やじせい のある一友は、こうもいう。
「いやいや、あれの愛妻ぶりを知っているか。上西門院の雑仕ぞうし だった袈裟御前けさごぜん だ。あの不器ぶき っちょが、よくもあんな美人を射落として、宿の妻にしたかと思うが、そのまた、愛し方も、一通りではない。宿直とのい に当って、夜も院に詰めている時などは、心は家に行っている。 ──いちど、おれたちにも、拝ませろというと、彼、にやりとして、秘蔵の妻だ、めったには、などとのろけたこともある。しかし、実は、見せたいのだよ、自慢の妻を」
迎える門は、水を打ち、くりや (台所)きよ めて、気をつかっていたが、やがて、どやどやおとず れる方は、一歩前まで、勝手な放談を楽しみつつやって来た。
しかし、この同年配の若者も、客間に着くと、ほどよく客振りを保って、やがて運ばれて来る折敷おしき の肴、高坏たかつき銚子ちょうし などを前にしても、酔うまでは、なかなか遠慮めいた風趣ふうしゅ も示す。
平太清盛もいた。佐藤義清も見えている。 ──が、ひとり、いるべきなのにいない顔が、清盛に思い出された。
遠藤武者盛遠である。なぜ彼は見えぬのか? ──と、清盛は、口へ出しかけたが、出さなかった。ひごろ、院の溜りでも、渡と盛遠とのあいだに、何か、溶けあわないものを感じていたからである。
ひとは、それとも、気づかないが、清盛には、 えてならなかった。
盛遠だけは、自分の一身上の秘事を知っている。それがあるので、清盛は、つい、盛遠の挙止言動きょしげんどう に、ひとより細かい眼をそそぐようになっていた。彼の、粗暴で矯激きょうげき な性情と、ゆたかなる学才とが、のべつ、一個の中に取っ組んいて、盛遠自身、自分をもてあましているような風が、いつも、はらはらながめられる。
わかて、その盛遠が、渡と、同席の時などは、ふと、盛遠の眼底に、卑屈めいた、実に小心者のするような、いやな光が、うごめいたりすることがある。そのくせ口では、剛愎ごうふく なことをいう男が、清盛には、ふしぎに堪えないおりがななあった。だが、近ごろの盛遠の眼のにごりや、頬骨ほおぼね のとがりかたから察して、多分、過度な勉学のため、神経病にでもかかったか、あるいは、酒の飲みすぎのためか──などとひとり答えをつけていたものである。だから、ひょっとしたら、主の渡も、好まぬ人物として、あえて招かなかったのかも知れない。
清盛は、そう考えて、自分にしても、余り思い出したくない男と、触れないことに、きめていた。

※折敷
檜の片木で作った角盆で、食器などを載せる台。
著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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