〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-\ 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (一) ──
ち げ ぐ さ の 巻

2013/01/20 (日) しゅく  はい (三)

狂噪きょうそう と、草ぼこりの中に、 もうすづいて、その日の競馬も、終わりを告げた。
天皇、上皇は御座を立たれた。妃嬪ひひん 、百官も、こぞって、おあとに従い、加茂の神前へ、 を運んだ。
奏楽がおこり、奉幣ほうへい の式があって、やがて、幄舎あくしゃ のうちの、賜餐しさん となる。
この日の十番競馬や、十列とつら の競馬に勝った騎者たちに、祝杯があげられ、親しく、おことばがかけられた。
しかし、本当の祝杯は、秋、あらためて、宮廷で行われるのが例である。
その儀式を、 「負物貢まけものみつ ぎの式」 といい、相互の間に賭けられている “負け物” ──沙金さきん 、織物、香料などの多額な品を── 負け方から、勝ち方の組へたいして、いんぎん、敗者の例を尽くして、贈呈するのが、約束となっているのだ。
もちろん、天皇、上皇、臨御のまえで、伶人れいじん たちの奏楽のもとに、大々的に、勝敗の差別を明らかにする儀式であり、敗者から勝者への、負け物贈りのことが終わると、あとは、勝ち方の凱歌がいか によって、一同、うちとけた酒宴さかもり となるのである。無礼講なので、陛下の前でも、いろいろな隠し芸や、珍趣向の余興をこらす者も出るのであったが、中には、勝負をこのように平和化する作用に溶けきれず、いつまでも、残念ばなしにこだわって、酒乱を演じたあげく、大内裏の小庭へ出て、腹を切って死んでしまったりするような気の さい騎者もあったりした。
栄枯盛衰は天地のならい、栄々盛々はあり得ない事。勝は負ける日の初め、負けるはやがて勝つ日の初め ── と、殿上人てんじょうびと輪廻観りんねかんあ のそこには、やはり仏教が働いていた。だから負け方の騎者が、小庭で腹を切ったという事件にも、かれらは、なんの驚愕きょうがく もあらわさなかった。ある者は、腹を抱えて笑ったりした。
仏教のいう宇宙観や輪廻りんね の哲理も、かれらはそれを、自己の上には、ゆめ、考えてみなかった。かれら藤原氏の門流や末葉まつよう たちは、祖々以来、宮廷を中心に、史上例外な、栄々盛々の三世紀を遂げて来ているからだった。いまも、余恵よけい にうけている華冠薫袖かかんくんしゅう の身を、まだ不足なぐらいに思い れているのである。きびしい、敗者の運命などには、出会ったことはない族党なのだ。勝敗の烈しさ、つらさ、仮借かしゃく なさ、そんな運命は、理念では知っていても、実感には、分かるわけもないのだった。──ゆえに、彼らの知る勝負事は、すべて、遊戯のほかのものではない。敗者の痛涙も、勝者の狂喜も、ひちしく、一場の泡沫ほうまつ と見、あれもおかし、これもおかし、なべて酒杯さかずき のうちに いて、飲まんかな人生。楽しまずしてなんの人生やある ──というのである。そして、つねにかならず、自己を傍観者の桟敷におくことを忘れない。
そういう意味だけの一日。今日の五月五日も、みな、生き身のかん をつくして暮れ ── ほどなく、加茂の葉桜のうえに、夕月を見るころ、主上の鳳輦ほうれん も、上皇の御車も、れきろくと、群臣の車馬をしたがえて、還御となった。

※幄舎
神社または朝廷の儀式などに、庭に設けた仮屋。四周に幕を張り、上方を布でおおったもので、幄屋、幄座などともいう。
著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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