〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-\ 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (一) ──
ち げ ぐ さ の 巻

2013/01/18 (金) かり 宿やどにょ (三)   

当主の家成は、五重がらみの、人の さそうな男だった。右大弁うだいべん の官職にあったが、今は退官して、闘鶏とうけい にばかり熱心である。
子がないので、めい の瑠璃子を、このまま貰ってもいいとしているふうであった。
ところが、この二月以来、とんでもない厄介者やっかいもの が、戻って来た。泰子である。何と意見してみても、ふたたび今出川へは、帰ろうと言い出さない。
(四人もの、子を残して) と、母性を いても、泰子には、さしたる愛着のもだえもないし、
(そもぞとて、もう三十八という年では、いかに、美しかろうとて、そう、他家へ再婚も、なるまいに・・・・)
と、暗に、彼女の自身を、諷してみても、耳をかす容子ようす はない。
それどころか、彼女は、ここは、自分の里親の家と、まったく、生涯を寄せきっているふうで、いい部屋をおくつも め、朝風呂、寝化粧ねげしょう 、何不自由ない貴婦人生活を、それこそ、理想通り振舞っているのである。
勝手に、牛車くるま は使うし、召使はこき使う。夜は夜で、いずこの男か、忍んで来る様子も、あるとかないとか──雑色ぞうしき 部屋では、ヘイライどもにうわさの種になっている。
意見の程度を越えて、もし家成が、不平でも言おうものなら、彼女はたちまち色をなして、かえって、家成をやり込めてしまうのである。かって、白河上皇の寵幸ちょうこう を受けた身であるというほこ りが、彼女の心の骨格になっているらしい。すぐ、白河の御名おんな を口に出す。そして女王の前の臣下のごとく、完膚かんぷ なきまでに、家成ごときは、いい伏せてしまう。
家成は、もうその愚にはコリている。近ごろは、言わぬに かずときめていた。彼女がちょうど今の瑠璃子ぐらいな年ごろに、上皇のお きを知って、祗園女御ぎおんにょご を取り持ったのは、自分である。ために、そのころは、上皇の覚えもめでたく、官職も枢要すうよう に就き、庄園しょうえん (智行所) の地も増され、たま わり物も少なくなかった。──彼女は、それを忘れない。しかと覚えて無形の資産としているのだ。忠盛へ嫁いでからも、おりおり、ねだりごとに来ていたのである。
自業自得じごうじとく とはいえ、実に、えらいものを、背負い込んだと、家成はこのところ、楽しい日を失っていた。それにひきかえ、泰子の住む東の対ノ屋では、男女の客の絶え間がない。すご六だの、こう の会だの、管絃かんげん稽古けいこ だのと、寄り集まっている顔ぶれの中には、いつ、どうして、彼女と親しくなったものか、自分の闘鶏の友人までが、交じっているのだ。
いや、家成が、もっとまゆ をひそめたのは、瑠璃子への、感化であった。
瑠璃子も、いつか、彼女の虜囚になってしまい、西の対ノ屋にいるときはほとんどなく、のべつ泰子のほうへ、入り浸っている。
やかた は、中央の大きな母屋おもや寝殿しんでん と呼び、また渡殿わたどの という長い廻廊かいろう づたいに、東と西とに対ノ屋が、わかれていた。そのほか、泉殿いずみどの とか、つり殿とかも、すべて中心のかく をめぐっている。
公卿館くげやかた の様式は、例外なくこの “寝殿造しんでんづく り” である。家族たちが住む西の対ノ屋から、東の対ノ屋までは、ずいぶん遠く離れていた。
(瑠璃子。東の対ノ屋へは、行くなよ。ろくなことは覚えまいに)
やかましくかれはいう。が、いつのまにか、瑠璃子は行って泊っている。家庭はらちゃくちゃない姿だ。雑仕ぞうし や、家人たちに見張らせても、ききめはない。なぜなれば、いまや召使たちが恟々きょうきょう と仕えているのは、家成ではなくて、泰子であった。
(── なるほど、強武者こわむしゃ の平ノ忠盛すらも、若さをしぼませたのも、むりはない。忠盛が、長い年月としつき偏屈人へんくつじん に見えたのも、今にして、察しがつく。 き白河上皇も、思えば、罪なお遺物かたみ をのこされたものかな)
と、家成は、わずか、ふた月の忍耐にすら、白髪のふえる思いに比べて、よくも二十年もの間、妻に持って、辛抱していたものよと、今さらのように、忠盛を、えらいと思った。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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