公卿の邸宅には、どこにもいるが、ここの館
にもたくさんな “ヘイライさん” が飼われていた。 ヘイライとは、雑色ぞうしき
(下僕げぼく
・小者こもの )
たちがかぶっている平折ひらおり
の粗末な烏帽子えぼし をいうのである。
“平礼へいらい ” と文字では書く。 烏帽子は、階級の標しるし
だった。商も農も、諸職も、六位七位の布衣ほい
たちも、日常、頭に載の っけている。雪隠せっちん
の中でも載せている。 それは、位階官職の高い者には、まことに都合の良いものだった。頭脳の中身は粗末でも、かぶり物が、その人間の優位を規定し、上流の生活を、生まれながらに、保証してくれているのである。 だから、ヘイライ階級には、ありがたくもないし、かぶりたくもない物にちがいない。しかし、飼われたる奴隷どれい
である彼らは、主人の館では、除と
るわけにはゆかなかった。 ただ、外へ出るときは、たちまちそれを、ふところにねじ込んで歩いたりはしていた。でも、街の者は、彼らが着ている白い木綿の制服や、その物腰でみ、すぐ、 (あれはヘイライさんや) と、見抜いてしまう。それは分かりきっていながらも、かれらは、街へ出ると、自分のかぶり物を、邪慳じゃけん
にした。そこでなお、意地悪く、時の人びとは、彼らを呼ぶに、雑色ぞうしき
だの、中間ちゅうげん だの、小こ
舎人とねり などと言い分ける代わりに、ヘイライさんと、総称していた。 「ヘイライさん、ヘイライさん。なんぞ買うておくれんか。花なと、ひもなと・・・・」 六条坊門の中御門家の裏である。そこの雑人門ぞうにんもん
をのぞいて、行商の女たちが、きゃっきゃと、騒いでいた。 ひも売り、花売り、ちまき売りなど、筥はこ
や籠かご を、髪の上に、乗せていた。女たちが、物を頭に乗せて歩く習慣は、見馴な
れていた。 「いらないといったら、いらないよ。うるさい阿女あま
たちではある」 「ちまきは、どうやの、きょうは端午たんご
、五月のお節句せっく じゃがの」 「その節句で、こちらも忙せわ
しくて、眼をまわしているのだ。・・・・晩に来いよ。な。晩に」 「あほう! 好す
かんヘイライやの。ホホホホホ」 ところへ、奥から家職のひとりが出て来て、雑色たちのうしろからしかりつけた。 「これよ。また、物売り女とふざけておるのか。けさのお湯殿守ゆどのもり
は、たれか。お湯殿の湯気ゆげ
が、熱うなって来ぬと、泰子やすこ
さまが、中で、焦じ れていらっしゃるぞ。──はやく、火を見て来い」 怒鳴どな
られて、ヘイライ仲間の二人ほどが、突ンのめるように、東の対ノ屋の方へ駆けていった。 なるほど、湯殿の焚た
き口は、いぶり消えている。二人は、あわてふためいて、柴しば
や薪を、くべ足した。 すると、縁えん
に立ち現れた泰子付きの雑仕ぞうし
(侍女) たちが、煙に、眉まゆ
をしかめながら、また、 「そもじたち、何していやる?・・・・御方おんかた
にお風邪かぜ でもおひかせしたら、どうしやるぞ。うつけ者よ」 と、ここでも、ヘイライは、女房たちからさえ、犬猫いぬねこ
みたいに怒られた。 |