〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-\ 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (一) ──
ち げ ぐ さ の 巻

2013/01/17 (木) かり 宿やどにょ (一)   

公卿の邸宅には、どこにもいるが、ここのやかた にもたくさんな “ヘイライさん” が飼われていた。
ヘイライとは、雑色ぞうしき (下僕げぼく小者こもの ) たちがかぶっている平折ひらおり の粗末な烏帽子えぼし をいうのである。 “平礼へいらい ” と文字では書く。
烏帽子は、階級のしるし だった。商も農も、諸職も、六位七位の布衣ほい たちも、日常、頭に っけている。雪隠せっちん の中でも載せている。
それは、位階官職の高い者には、まことに都合の良いものだった。頭脳の中身は粗末でも、かぶり物が、その人間の優位を規定し、上流の生活を、生まれながらに、保証してくれているのである。
だから、ヘイライ階級には、ありがたくもないし、かぶりたくもない物にちがいない。しかし、飼われたる奴隷どれい である彼らは、主人の館では、 るわけにはゆかなかった。
ただ、外へ出るときは、たちまちそれを、ふところにねじ込んで歩いたりはしていた。でも、街の者は、彼らが着ている白い木綿の制服や、その物腰でみ、すぐ、
(あれはヘイライさんや)
と、見抜いてしまう。それは分かりきっていながらも、かれらは、街へ出ると、自分のかぶり物を、邪慳じゃけん にした。そこでなお、意地悪く、時の人びとは、彼らを呼ぶに、雑色ぞうしき だの、中間ちゅうげん だの、 舎人とねり などと言い分ける代わりに、ヘイライさんと、総称していた。
「ヘイライさん、ヘイライさん。なんぞ買うておくれんか。花なと、ひもなと・・・・」
六条坊門の中御門家の裏である。そこの雑人門ぞうにんもん をのぞいて、行商の女たちが、きゃっきゃと、騒いでいた。
ひも売り、花売り、ちまき売りなど、はこかご を、髪の上に、乗せていた。女たちが、物を頭に乗せて歩く習慣は、見 れていた。
「いらないといったら、いらないよ。うるさい阿女あま たちではある」
「ちまきは、どうやの、きょうは端午たんご 、五月のお節句せっく じゃがの」
「その節句で、こちらもせわ しくて、眼をまわしているのだ。・・・・晩に来いよ。な。晩に」
「あほう! かんヘイライやの。ホホホホホ」
ところへ、奥から家職のひとりが出て来て、雑色たちのうしろからしかりつけた。
「これよ。また、物売り女とふざけておるのか。けさのお湯殿守ゆどのもり は、たれか。お湯殿の湯気ゆげ が、熱うなって来ぬと、泰子やすこ さまが、中で、 れていらっしゃるぞ。──はやく、火を見て来い」
怒鳴どな られて、ヘイライ仲間の二人ほどが、突ンのめるように、東の対ノ屋の方へ駆けていった。
なるほど、湯殿の き口は、いぶり消えている。二人は、あわてふためいて、しば や薪を、くべ足した。
すると、えん に立ち現れた泰子付きの雑仕ぞうし (侍女) たちが、煙に、まゆ をしかめながら、また、
「そもじたち、何していやる?・・・・御方おんかた にお風邪かぜ でもおひかせしたら、どうしやるぞ。うつけ者よ」
と、ここでも、ヘイライは、女房たちからさえ、犬猫いぬねこ みたいに怒られた。

※布衣
六位以下の役人が着る無紋の狩衣かりぎぬ 。また、それを着る身分の人。
著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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