その日の、青毛のうわさは、翌日にはもう、院中にかしましかった。忠盛に心よからざる公卿は、以前から多いのだ。それは彼が、武者の分際で、ただ一人、昇殿
を許されているという一事にあった。 たとえ一人の忠盛でも、帝座ていざ
にまぢかい殿上てんじょう へ、地下人を上げるなどは、彼らの狭量と排他性がゆるさない。雲上うんじょう
の特権を破壊されると感じたのである。スガ目の伊勢こそは、油断がならぬ。上皇のご機嫌を取り事に妙を得た者と、そのころから、警戒されていたのだった。 事実、上皇の御信頼は、今にしても、変っていない。 忠盛が、あんなにも長い年月、ろくに出仕しゅっし
もせず、お召しのほかは、節会せちえ
の式日の参向さんこう すら怠って来ながら、このごろやっと、ひさびさな勤務についても、上皇は以前通りな寵遇ちょうぐう
を彼に示された。そして、彼の言葉は、まま、お取り上げの栄えい
に会う。 昇殿問題を、忘れていた公卿たちは、今日の右近の馬場で、また、安からぬひがみや憎みを新たにした。 「いやはや、小うるさいことどもよ。何年たっても、変らぬは、公卿くげ
蛙がえる の住む古池ではある」 忠盛は、今出川の屋敷に帰ると、昨日のうちに、ここの厩へ移して来た青毛の前へ立って、その鼻づらをなでながら、馬に言うようにつぶやいた。 「父上。きゃつらの陰口など気にしていたら、とても、都に生きてはいられません。ばかどもよと、嗤わら
っておけばいいでしょう」 「や、平太か、いつ戻った」 「父上のお帰りを見、宿直の日でもありませんので、しぐお後あと
から──」 「おまえも、不快を顔に出すなよ」 「なんの、腹のそこで、今に見ろと、思うだけです。心をもちかえて、出仕しようと仰お
っしゃった父上のお気持を、わたくしとて忘れません。・・・・それに、わが家や
のうちも、なんだかこのごろは、明るくなったし」 「いや、おまえは、淋さび
しかろう。・・・・母に離れて」 「言い出さぬお約束ではありませんか。父上、それはやめましょう。・・・・ところで、青毛のことですが」 「うム、良い馬だな。お前も、朝夕、地乗じの
りしておけ」 「え、そう思いましたが、実は、同僚の源みなもと
ノ渡わたる が、どうしても、青毛の調教を、自分に譲ってくれといいます。五月の加茂の当日には、あの青毛を出して、十列とつら
の競馬に参加したい。おぬしの父から上皇に奏上してくれい、頼んでくれいと・・・・つきまとわって、わたくしへせがむのです」 「渡がか? ・・・・」 と考えて──
「平太、おまえに、その所願しょがん
はないのか。他人ひと よりは、おまえに」 「何しろ四白よつじろ
ですからな、四白でなければ」 清盛の濃い眉まゆ
が、ちょっと、眉まゆ に似げない針みたいな神経を寄せたのを見、忠盛は、はっとした。このずぼら息子のうちに、親も気づかずにきた一性格があったかと、いま知った思いがしたのである。 「いや、源ノ渡なら、きっと、それくらいな熱望はもつだろう。院の思し召しの程、いかがあるや、はかられぬが、伺ってみてやろう。おまえに、望みがなくば」 多少、落胆の色はあったが、忠盛は、そう言って、郎党たちに、飼糧かいば
、手入れの注意などを与え、やがて奥の──いまは喧嘩けんか
を売って来る妻もない独り居の灯ひ
の下へ──幼い子らを呼び寄せて、戯れていた。 |