「忠盛やある」 上皇は、お声をかけた。たくさんな若駒を、一頭一頭熱心に見てこられたのち、扈従
の公卿たちの頭を越えて、随身の武者忠盛へ、直々じきじき
に、訊き かれたのである。 「ことしは、さして、眼をそばだたすほどな名馬も見えぬの。そちの眼ではどうか」 平伏した忠盛は、わずかに、頭を上げて答えた。 「いえ、ただ一頭は、なかなか優すぐ
れて見えました」 「一頭は──というか。はての・・・・オオ、下毛野しもつけ
駒ごま の、青毛あお
ではないか」 「おめがねの通りであります」 「あれなら、まろも、つなぎ杭ぐい
の前で、しばし見とれたが、馬観うまみ
たちも、公卿どもも、口をそろえて、やめよというた。四白よつじろ
とやらは、よくないそうじゃの」 「俗説です。とるに足らぬ・・・・」 と言いかけて、忠盛は、なぜ自分はこう自分をあざむけない性分しょうぶん
かと、すぐ悔いを覚えたものの── 「これほどな馬数うまかず
にも、あれに勝まさ るは見うけません。容貌かおだち
、眸ひとみ 、尾長おなが
など、名馬の相を、ことごとくそなえたものです」 と言ってしまった。 上皇には、ふたたび迷うお顔つきに見えた。五月には、院の馬で、朝廷方を負かしてやりたいのだ。それには、四白よつじろ
の青毛をと思われたのだが、忌みごとをひどくおそれる貴族的な通有性では、上皇も同じであられた。 「もし、いちど惜しゅうと思し召すなら、青毛のみは、院の御門を避けて、忠盛が家の厩うまや
に、その日まで、つなぎ置くもよろしゅうございまする。わたくし、おろかな言い伝えなどは、さらさら気にかけませぬ者ゆえ」 忠盛は、公卿たちのてまえと、自分の言葉の責任上、そう考えた通りを言った。 「なるほど、それならば、障さわ
りもなかろ。そちの手にあずかって、加茂の日までに、脚馴あしな
らしも、充分にしておくがよい」 ── 還御となった。 |