〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-\ 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (一) ──
ち げ ぐ さ の 巻

2013/01/16 (水) 競 べ 馬 (四)   

あぶみを踏まえても、馬相の眼識にかけても、渡は、人後に落ちないつもりだ。
が今、清盛から、四白だぞと注意されると、ちょっと、ぎょっとした顔色だった。
四白いうのは、鹿毛かげ栗毛くりげ をとわず、馬の四つの脚のひづめ からすね に、そろって、白い毛なみを持っている特長をいうのである。ごくまれにしかないが、あれば、不吉ふきつ だと、昔から言われている。
── はて、そいつは、気づかなかった。
渡は、あきらかに、動揺を包んだ。が、年下の清盛に、しかも馬相のことなどで、教えられたかのようなのは心外であった。佐藤義清が、ニヤニヤ聞いている手前からも──だ。
「なに、四白では、だめだと。アハハハ。・・・・、武者は、スガ目、あばたは、赤鼻などでは、皆だめか」
「おい。なんぼなんでも、俺の父を、馬のひきあいに出すのは、ひどかろう」
「だが、貴様までが、青公家あおくげ みたいな迷信を言うからだ。 あたりの悪い堂上では、ややもすると、物の だとか、やれ吉瑞きちずい凶兆きょうちょう のと、のべつ他愛たあい ないおびえの中で暮しているが、おれたち、陽当たりのいい土壌の若者には、そんな迷信など、取るに足らん。・・・・不吉というのは、むかし、その馬を った公卿が、長いあご でもかみつかれたか、腰の骨でもくだいたことから、いい始めたにちがいない」
渡は、必要以上に、抗弁したあげく、
「── よい方の例をあげようか。いまは めたが、検非違使けびいし をしていたみなもと為義ためよし 。知ってるだろう。大治だいじ 五年、あの人が、延暦寺えんりゃくじ 堂衆どうしゅう の鎮圧に乗り出したとき、四白の栗毛くりげ に乗っていた。相模さがみ 栗毛くりげ とよんで、人も知る彼の愛馬だ。──また、さきのおととし、鳥羽とばいん と、待賢門院たいけんもんいん さまも、お臨みで、神泉苑しんせんえん の競べ馬に、下毛野しもつけ の兼近が、見事な勝ちをとったのも、たしか、四白の鹿毛かげ であったわ」
「わかったよ。何も、迷信を持って、名馬に非ずと、いったのではない」
「おれは一番、あの青毛で、五月の加茂に、名をなしてみたいと野望しているのだが」
「ア、それで、怒ったのか」
「怒りはしない。迷信をわら ったのだ。いや、迷信があるのは、かえって幸せかも知れぬ。おそらく、あの馬に、 はなかろう」
清盛は、答えなかった。粗大な神経の持ち主のようで、些事さじ にも、妙に気を病むことのある彼であった。渡は彼が言い返辞をしないので、義清の方をふり向いた。
── が、義清はさっきから、そんな話にはなんの感興もないように、おりおり、白い が、ヒラヒラ、と舞ってくる桜のこずえ を見上げていた。
「あ、・・・・院の御車が、彼方あなた に見えた」
「おう、臨御になられた」
そのとき、あたりで声がした。三人もすぐ突っ った。そして、右近の馬場のはず れまで、他の大勢とともに、御車迎えに、駆けて行った。

※検非違使
平安時代、京都で、不法行為を取り締まり、罪人の逮捕、断罪などをつかさどった官職。今の警察官と裁判官とを兼ねたもの。後に義経がこの役について、そのために悶着を起こしたことは有名。
著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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