〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-\ 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (一) ──
ち げ ぐ さ の 巻

2013/01/16 (水) 競 べ 馬 (三)   

すぐ、やって来た。──清盛だけが。
やあ、ここか、と清盛は二人の中に割り込んで、ともに、草の上へまろびあった。
いずれも、ある期間を、勧学院かんがくいん で学んだ学生仲間である。清盛からすれば、源ノ渡は、五年も上級だったし、佐藤義清も、二つ上。ここにはいないが、遠藤盛遠が、ちょうど、その間という年ごろの集まりであった。院の武者所では、自然、これら二十歳台の思想的な結合が、同僚のよしみ以上に、次の世代を意識の奥で約していた。骨たくましく、夢大きく、ひそかの未来を、自負し合っているやから なのだ。
勧学院は、もともと藤家とうけ の子弟のための大学だったが、武家の子でも、四位以上の家柄なら、入学は許された。しかし学内でも、卒業後も、貴族の公達きんだち と、地下人ちげびと の息子とは、学科から待遇にまで、差別があった。当然、ふたつのものは、水と油だった。
(なまじ、地下人ちげびと の息子に、学問などかじらせたところで、なんになろう・・・・)
蔑視べつし する一方と、
(いまにみろ。今に・・・・) と現状組織のもとに、きも をなめて、無念を次代にたく している組と ──。これは、かれらの親同士もまた、暗々 に抱いている通りなものの縮図だった。
中でも。
清盛などは、野生、貧乏、学力不足など、地下人的な特性を、もっとも、身にそろえていた方だから、公卿の子弟には、よく小ばかにされていた。しかし、妙に仲間からは、愛された。
勧学院を出ると、さらに最高学府の淳和院がある。だが、武家の子は武芸が専攻だという理由で、そこへは入学が許されない。清盛も、あとは、ほかの連中と同じように、兵部省に兵籍へいせき を置き、やがて、院の武者所へ入った。そして一応、勤めてはいたものの、父忠盛は、長年の籠居ろうきょ だし、母はあの通りであったので、持ち前の懶惰らんだ とずぼらを伸ばすには、そこの勤めも、かっこうの温床だった。
ところが、例の、母の問題が、かたづいてから、忠盛は何か翻然ほんねん とちがって来た。生活を改めようとするらしく、
(おれも、まだ四十台。おまえは、まだまだこれからの二十歳。夜の有様も、このままではすむまい、気をそろえて、やり直そう)
と、あれから間もなく、院へも、出仕しゅっし し始めている。そして、父子ともに、近ごろはまったく別人のように、からっと明るくなって、人びとに していた。
「盛遠は、来ないのか。・・・・遠藤も、見えたようだが」
「うム。・・・・なんだか、あっちへ行ってしまった。呼ぼうか、ここへ」
「いや、よせよせ。なぜか盛遠めは、近ごろ、俺に会うと、顔をそむける。それよりは、平太、見て来たか──」 と、渡は、馬囲いの方を指さして、さっそく、かれの意見をたたいた。 「・・・・貴様は、どう見たか、あの青毛あお四歳よんさい を。どうだ、あの駿馬しゅんめ は。すばらしいものだろうが」
清盛は、ふんと、鼻を鳴らした。次には、すこしくちびる をひン げて、首を振った。
「あの青毛か。・・・・あれはいけないよ。あれはだめだ」
「え。どうして。・・・・なぜ、あの名馬が」
「いくら名馬でも、惜しいかな、四白よつじろ だもの。──馬相からいっても、四白よつじろ は、狂馬きょうばそう としてある」

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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