右近の馬場の桜も、今朝あたりを、艶
な盛りとして、夕方には、もう散り初めるのではないか。ま昼の馬場いちめん、草萌くさも
えの香にお いも手伝い、咽む
せるばかりな花の肉感が、そよ風のたびに、顔をなでる。 「そうか。和殿わどの
の眼も、あれと見たか。──この春、諸国の牧から上のぼ
って来た四、五十頭のうちでも、まず、あの青毛あおげ
の四歳駒よんさいごま に及ぶ逸駿いつしゅん
はない。こう見ても、ほれぼれする」 源みなもと
ノ渡わたる は、大きな発見でもしたように、くり返して言っていた。──さっきから、馬場の埒内らちうち
へ、眼もはなたずに。 この馬囲いには、たくさんな若駒わかごま
が、つながれていた。 「乗りたいな。無性むしょう
に、乗りたくなる。── 乗り味のよさが思われてくるのだ。堪たま
らない名馬ではある。あの後脚もとあし
からさんずにかけての、体からだ
づくりといったらない」 果ては、ひとり言ごと
にいう。 ふたりは、埒らち
の外の、大きな桜の木の根もとに、ひざを抱え合っていた。──が、もうひとりの、佐藤義清のほうは、かれほど馬好きではないらしい。返辞は微笑だけだった。 「義清。──和殿は、そんな気がしてこないか」 「・・・・とは、どういう?」 「加茂の晴れの日に、あの青毛あお
の背で、勝ち鞭をあげて、満場の凱歌がいか
につつまれたらと」 「思わぬなあ。・・・・そんなことは」 「思わない?」 「名馬とわかれば、自分には、なお縁がないと、思うだけに、馬がよくても、騎乗が悪くてはの」 「それや、謙譲けんじょう
というよりは、虚偽に聞こえる。和殿に乗りこなせないはずはない。いや、おあたがい、鳥羽院の随身ずいしん
たり、武者所の侍ともある者がよ」 「はははは、渡、それは、話が違う」 「何が違う」 「おん身は、競馬をいっているのだろう。五月の加茂の、くらべ馬にと」 「もちろん。──
ここの若駒は、みなその日の為に祝されている駒だ」 「── が、わしは競馬はきらいでな、車駕しゃが
の御供に、随身として、乘ならべつだが」 「いざ、合戦の日には」 「ねがわくば、戦いくさ
には、会いたくない。近ごろ、武人の身を、悔いることしきりなのだ」 「ふム・・・・」 と、不審そうな眼を、友の顔にこらして、 「北面ほくめん
のうちでも、わけて勇猛と聞こえのある、佐藤兵衛尉ひょうえのじょう
義清の口から、いままでにない言葉を聞く。どうかしたのか。おい」 「どうもせぬよ」 「恋でも・・・・」 「恋もしてみないことではないさ。それが今の妻だ。あの妻で不足はない。・・・・が、実を言えば、数日前、この春の曙あけぼの
に、玉のような、子が生まれた。わしも父なったのだ」 「おれたち、武者輩むしゃばら
でも、おのおの、家庭を持てば、子どもも生む。それが、なんのふしぎか」 「そうだ、実に、子だくさんがそろっている。そして、生み生みするものを、よくもまた、あわれとも、思わぬのが、ふしぎでならぬ」 「あははは、どうかしておるぞ、今日の和殿は」 渡は、哄笑こうしょう
した。笑い放したかたちで、また、馬囲いの篷へ、眼をやった。──と、そこの柵さく
から、こちらへ出て来る伊勢平太清盛と、遠藤武者盛遠の顔が見えた。かなたの二人も、ここの二人に気がついたらしい。清盛の赤ら顔が笑っている。渡は、手をあげてさい招いた。かれなら馬好きと、見たからである。
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