〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-\ 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (一) ──
ち げ ぐ さ の 巻

2013/01/15 (火) 競 べ 馬 (一)   

ただ単に、 “仙洞せんとう ” とも、正しくは “院の御所” とも呼ばれていた。──三条東の広い一地域、鳥羽上皇のお住居をである。
本来、上皇とは皇位を退かれたお方を言うのであるから、院は、御隠居所ごいんきょじょ であるはずだが、白河の御代から、院政いんせい というものが始まって、ここにも朝廷と同じ組織が置かれ、当代ではその政庁化を、一そう、明らかにしていた。
つまり、狭い日本の都に、二つの政府があったわけである。
けれど、春三月、都じゅうの柳が芽を吹いて、土のにお いまでがあらた まると、ここが政治の中核ちゅうかく とは思えぬような華やぎだった。宴楽の府、流行の府、恋の府 ── といっいぇも、過言ではない。
院の百官は、季節に浮かされて、政務はとみに、なげうたれ、もっとも、春に限ったことではなく、夏も秋も、冬もだが、今ごろは特にいけないらしい。春なれや──と、何は いても、歌の一つも でないことには、大宮人おおみやびと といわれる知識人の恥みたいな風潮なのだ。
夜来やらい の雨に、陽は、加茂の小石小石の水蔭みずかげ から、東山のいただきまで、いちどに春を ちみなぎらした。いま、さくら御門の枝垂しだ れ桜を って、大路の一端へ、さんらんと、揺れ出て行く御幸ごこう の御車にも、陽炎かげろう が立っていた。
供奉ぐぶ随身ずいしん の騎者は、おびただしい。なんとも長い列である。御車を引く牛の、のろい歩調に、すべての足並みがつれて行く。
「上皇さまは、お出まし好きでいらっしゃる」
これは街の定評だった。
「五月も近いので、加茂の下見したみ らっしゃるのであろう。諸国の馬が、たくさんに、のぼ ったからの」
まだら牛が引く御車のれん は、わざと高々と巻かれてあった。おん年三十六、七、色浅黒く、ほお 肉のうすい、かなつぼまなこ の貴人が、むっつり、くち を結んで、内座ないざ いっぱいにすわっておられた。
鳥羽上皇である。
街の男女は、上皇をたびたびお見上げしていたが、上皇には、通るたびに、街が、物珍ものめずら にお見えらしい。 だけが、ひんぱんに、左右へ動いた。時には、何かへお眼をちめて、ホホ笑まれたりされるのだった。── と知ると、道ばたの庶民しょみん も、上皇の視線の先をさぐって、一しょに笑い合った。──そういう親しみを、不敬とよんで、庶民に土下座どげざ いたのは、もっと後世の風習である。武将が政権を握ってからのことだ。
武門の威光とか警戒などを、かりにも、ゆるがせに出来ない様な世相人臣を、みずからつくりあげたときに、必然興った制度だった。── 当時、朝廷と院政との、二元政治の変則を見たほど、世はすでに、みだ れの端緒たんちょ をを見せていたが、まだ巷には、こんなある日の春風も流れてはいたのである。

※随身
昔、摂政・関白などの護衛として朝廷から賜った供人。 「ずいじん」 とも。
著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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