「うるさい。泣くな」
と忠盛は、三人を叱って── 「今日までは、子らにために、何もかも、忍んでは来たが、もう、わしも、わしの愚から覚めた。おろかしや、平ノ忠盛も、一人の女人
に制せられて、二十年の間、われとわが心を煩わずら
わし通してしもうた。ばかじゃったよ。おれは。──平太、おまえのばかを、俺は叱れん。あははは。アハハハ」 持ち前のとり澄まし方に、じっと堪た
えていた泰子は、忠盛が、自嘲じちょう
を発すると、むかと、顔に血を動かして、すぐ反発して来た。 「なんですか、その笑い方は。・・・・わたくしを笑ったのでしょう。たんとお笑いなさい。いくらでも、ひとを嘲あざけ
り散らすがよい。──上皇様が、世にいらっしゃるうちは、いくらあなたでも、こんなにまで、わたくしを辱がずかし
めることは出来なかったでしょうに。・・・・とはいえ、わたくしにはまだ、上皇様の御在世のときに、里親さとおや
とお決めくだすった中御門なかみかど
さまというものがついておりますよ。覚えていらっしゃるがよい」 「はははは:」 と、忠盛は、なおさら笑って、 「中御門殿へは、いずれご挨拶に出向く、よい女御を、長い間、忠盛ごときへ、お持たせくだされたこと」 「ようも、悪たいを・・・・」
と、彼女は、これをさいごの憎悪として烙/rb>や
き残すような眸/rb>ひとみ で、忠盛をにらんだ。 「あなたこそ、このわたくしに、たくさんな子を産ませながら、ただの一日でも、はればれと、妻の私を、楽しませてくれたことがありますか。・・・・二十年、いやでいやでならなかったのを、ただ、子の愛にひかれて、この邸にいただけなのです。 ・・・・ところが、どこから聞いて来たか、平太と郎党の木工助が、夜明け方、厩の蔭でしきりと、わたくしの陰口かげぐち
をきいているではございませんか。──勿体もったい
なくも、亡き上皇さまのおうわさまで出していたのです。やれ、そのころの祗園女御の許へは、夜な夜な忍び男お
が通っていたとか。それは、八坂やさか
の悪僧のなにがしかであったとか。まるで、見てでもいたように、木工じじも言えば、平太も言います。あげくの果て、清盛の真まこと
の父は、一体、たれなのか・・・・などと、正気とも思えぬことを言い狂っている二人を、わたくしは、この眼とこの耳で、つきとめたうえでの、決心なのです。・・・・もう、こんな邸には、一日とて、いられません。子どもにまで、反そむ
かれて、どうして、いることができるものですか」 「やめよう。やめてくれ。その話は、今朝から散々やりつくした。木工助も呼びつけて、胸いたむまで、やり合った問題だ、果てしがない。よしてくれい」 「では、証あかし
をたててください。わたくしの身の証を」 「だから、さきほども、いったではないか。──平太清盛は、まちがいなく、わしとそなたの、子どもだと」 「平太!
聞きましたか」 と、彼女は、するどく見て── 「聞きましたか。そこな、郎党の木工助も」 「・・・・」 「そなたたちは、めっそうもない陰口を言いふらす人々ではある。白河の上皇様に御寵愛ごちょうあい
をうけたことは、かくれもないにせよ、八坂の僧を忍び男お
としていたなどと、もう二十年も昔の古事ふるごと
を、いったい、だれが言い出したのでしょう。──忠盛どのも、知らぬと言い、じじの木工助も、知らぬと言い張る。・・・・平太や、そなたはまさか、母のわたくしへ、うそは言わないでしょう。言って御覧なさい、その下手人げしゅにん
を」 「わたくしです。そのことなら、だれでもない、この平太です」 「ま。そなたですって。・・・・いやいや、子のそなたが、実の母の悪口を、言い出すはずはありませぬ。そこな、じじであろうが」 「いや、自分にちがいありません。・・・・母上っ」 「ま。何と言う眼め
。その眼は」 「そのことを糾ただ
そうとしては、いけないでしょうか。畜生の子なら、考えもいたしますまいが、清盛は、かなしいかな、人間の子でした。・・・・ほ、ほ、ほんとの、父親は、たれなのか、どうしてもわたくしは知りたい」 「あらわに、忠盛どのが、今もそなたへ、言ったではないか」 「お慈悲です・・・・おことばは。──清盛は、たとえ、ほんとうの男親なる者が分かっても、ここにおられる父上を、父以外の者としては決していたいません。・・・・けれど、もうこうなっては、あなた様へは、糾ただ
さずにおきません」 清盛は、不意に、彼女の袖そで
を、つかまえた。そして、夕べから涙にただれた眼まな
じりを裂いて迫った。 「おっしゃい。あなたは、知っている。── わたしは、たれの子?」 「ア、この子は、気でも狂うたか」 「狂うたかもしれません。父上が、世間恥じて、こうこう長い月日、引ひ
き籠こも ったのも、あなたのためだ。あなたは、父上の大事な若い日々を奪った、おそろしい女狐めぎつね
だ」 「なんですっ、母に向かって」 「母ゆえに平太は無性むしょう
に、あなたが癪しゃく にさわる。あなたが、穢けが
らわしいんだ、いまいましくて」 「あれっ──わたしを、そなたは、どうする気です」 「撲なぐ
らしてください。父上には、撲れないんだ。二十年もの間、撲れずにいたんだ」 「平太、ばちがあたりますぞ」 「なんお、ばちが」 「今は昔でこそあれ、この泰子やすこ
は、かりそめにも、白河の君の御愛情に秘めたいつくしまれた体ですよ。もし宮中にあれば、后きさき
、更衣こうい とも、あがめられたかも知れないのです。それをこんな、あられもない町屋敷へ、妻にと、下賜されて来たことを考えてみたらよい。そのわたくしに、手をあげたり、辱めたりすることは、取りも直さず、上皇さまへの反逆はんぎゃく
です。無礼です。わが子とて、ゆるしは措お
きませんぞ」 「ば、ばかなっ。上皇が、何だっ」 不意に、体じゅうから出た彼の声が、人々の耳をしびれるほで打った。いや、そればかりでなく、清盛の手のひらは、ぴしゃりと、母なる彼女のほっぺを、力任せに、はたきたおしていた。
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