父のいる一棟
は、荒れ御堂と言ってもよい。枯れ野みたいな庭の向うにあった。清盛は、そこの破や
れ縁を上った。そして、蔀しとみ
の蔭から、おそるおそるなかへすべり込んだ。 「夕べは、おそくなって、すみませんでした。お使いは、いたして参りました」 チラと、彼の影がさしたとたんに、ここの座にいた三人の沈黙は、すぐそれぞれの眼となって、彼の方ヘ向けられた。 ──
中で一人、木工助だけは、急いで目を伏せてしまった。清盛もまた、彼の姿から眼をそらした。ここで相見えるに堪えない気持ちが、ふと、二人の胸をかすめたのだった。 ──
が、清盛は、強し いて、恬てん
として、父へも母へも、虚勢を示しながら、また少しひざを進めた。そして、叔父の忠正から借りてきた金を、無造作に、差し出した。 「堀川から拝借してきたお金です。少し足りませんが、実は、友達に会って、費つか
いました。それから、小さい弟どもが、飢ひ
もじがっているので、経盛へ、少々、持たせました。残りが、これだけで・・・・」 言いも終わらぬうち、父忠盛の顔は、なんともいえないものに変わった。自身を、恥じるような、あわれむような、また、耐え難い憤怒の火でもどこかに包むかのようであった。──
ふと、わずかな金をそこに見たスガ目の片方は、涙をためた瞼まぶた
の引っつれを、常よりも醜みにく
いものにしていて、いくたびも、しばたいた。 「・・・・平太。そんなもの、おしまいなさい。なんですか! 座につくなり、おかねなど、ならべちらして」 泰子やすこ
はかたく、良人おっと と対峙たいじ
の姿を持ったまま、いやしむように、眼のすみから、子の清盛をしかりつけた。 祗園女御ぎおんにょご
という名は、忠盛へ嫁ぐ前までのことで、中御門家の一女泰子として、籍は、この家に移されていたのである。 母の横顔を見ると、清盛は、夕べからのものが、むらと、体に燃えてきた。 「なんですって、母上。それほど、いらない物なら、なぜわたくしを、堀川の叔父おじ
のところへなど、乞食こじき みたいに、借りにやったのですか」 「おだまり。いつ母が、そなたを、そんな使いにやりましたか。それは、父上のおさしずでしょうが」 「でも。・・・・でも、このおかねは、貧しいわが家の家計に使う物ではありませんか。母上だって、救われるでしょうが」 「いいえ」
と泰子は、四十ちかい容色とはどうしても見えないほどみずみずしい顔をきつく振って ── 「いやなことです。わたくしは、そんなあさましいお救いには、あずかりませぬ」 「じゃあ、母上は、食べないでいますか。あしたから、食べませんか」 清盛は、大きな耳たぶを、赤くした。撲なぐ
りもしかねない眼つきである。両の拳こぶし
は、そのひざの上に、わなわなと、ふるえを示していた。 「ええ、食べませんとも。・・・・清盛よ。オオ、うしろに、経盛つねもり
も来ておいでだの。二人とも、お聞きなさい。和御前わごぜ
たちには、不憫ではあるが、母は、今日限り、忠盛どのにお暇いとま
をいただいたぞや。──忠盛どのとも、今からは、妻でもなし、良人でもない。男の子は、男親につくのがならわし、お身たちとも、これきりと思うて給た
も。 ・・・・ホホホホ。悲しいことは露ほどもなかろう。お身たちはみな、日ごろから、そろいもそろって、男親の肩持ちじゃもののう」 |