寒々
と、木の葉まじりの夜よ 時雨しぐれ
が、しとどな音を、道のぬかるみにも、小川や森の上にも、立てていた。 初冬の、そんな晩でも、上皇は、供の忠盛、家貞をつれて、祗園女御の家へ、通って来られた。 すると。木こ
の間ま に、赤い火のゆれと、人影が見えた。上皇は、すくみ立って、叫ばれた。 「やっ。悪鬼あっき
?」 ── まるで、針の蓑みの
を着たような、大頭の怪物が、かっと、こっちへ向いて、口をspan>開あ
いたかのように見えたのである。 「忠盛忠盛。斬き
りすてい」 上皇は、恐怖にみちたお声の下で急せ
きたてた。あっと、木工助家貞がまず答え、忠盛は、長刀なぎなた
を横にひそめて、そこへ駆か けた。 だが、すぐこの君臣三人は、大笑いを残して女御の家の門へ、入って行った。 ──
怪物と見えたのは、笠かさ の代わりに、麦ワラを束たば
ねてかぶっていた八坂やさか の油つぎ坊主が、燈籠とうろう
へ灯ひ を入れていたものであった。 悪鬼、妖怪ようかい
、雷神らいじん 、風神ふうじん
などの実在を、貴族も一般人も、疑わない時代であった。それにしても、よほど、後では、おかしかったとみえて、当夜のおどろきや、雨夜あまよ
坊主ぼうず の滑稽こっけい
さを、上皇自身も、たびたび、側近に語られた。 そのたびにまた、上皇には、かならずそのおりの、忠盛の態度を、賞ほ
めちぎった。もし、忠盛が、臆病者おくびょうもの
であったら、かならず過あや って、罪もない坊主を斬り殺していたにちがいない。剛胆ごうたん
、沈着ちんちゃく 、武者たる者は、よろしく彼の如きであれ
── と、言うのである。 ところが、暇の多い公卿たちは、得意の憶測おくそく
をもてあそんで、 「はて、院のお話も、どこまでが、ほんとやら、どうも、正味には受けとれぬ」 と、蔭では言った。 理由を、言わせてみると ── 「第一、あの夜以来、上皇は、祗園女御の許へ、ふっつり、お通いを絶っておしまいなされた。第二には、そのおりの功として、祗園女御を、忠盛の妻に、あっさり、お与えなされてしまったが、これもおかしい。・・・・
第三には、女御を賜った当人の忠盛は、あれ以来、怏々おうおう
と楽しまない顔つきだし、また、彼自身は、雨夜坊主の話など、一言ひとこと
も、人に話したためしがない」 「なるほど・・・・?」 だれもが、変に思い出した。しかもまた、疑惑を、裏書きする事実も加わって来た。 上皇から忠盛へ賜って、今出川の彼の邸へ、妻として、輿入こしいれ
れした祗園女御が、忠盛との同棲どうせい
も、まだ十ヶ月に足らない内に、男子を、産んだといううわさなのだ。 「やはり、雨夜坊主の件は、上皇のつくり話じゃよ。あれは表面の事でしかない」 「では、その裏は?」 好奇な眼も、おたがい、そこまでは、触れあわなかった。彼らの良識としても、また、つきつめて行けば、問題は極めて重大なものにぶつかるという保身のおそれからも、ただ眼を細めて、にんまりと、笑え
みすましておくことが、堂上生活では、賢明とされていた。 |