〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-\ 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (一) ──
ち げ ぐ さ の 巻

2013/01/11 (金) 胎 児 清 盛 (三)   

父は、寝ているか。まだ起きておられるか。
母は、どうしている?
清盛の心配は、ただそこにあったが、木工助は、彼のたずねも待たず、こう、なだめた。
「さ。何も、お案じなされずに、そっと、臥床ふしど へお入りなさいませ。すぐ、寝屋ねや のお内へ」
「いいのか、じじ。・・・・父上のお居間へ、伺わなくても」
「明日の朝。ごきげんを見て、じじも一緒に、お びに出ましょうほどに」
「でも、怒って、おいでだろうな。わしの帰りの、おそいのを」
「もとより、御立腹には見えました。宵のころ、木工助やあると、ただならぬ御気色みけしき で。・・・・彼奴きゃつ め、どこを、遊びほうけているやら、塩小路なと見てまいれ・・・・との仰せに、じじめが、心得申して、ほどよう、取りつくろっておきました」
「そうか。何と言っておいてくれたぞ」
「かりにも、大殿おおとの へ、うそをつく木工助のせつなさを、すこしは、お察しくださりませ。・・・・堀川の叔父御さまのお邸にて、和子様には、御腹痛で寝ておられました。・・・・やがて、御腹痛もおさまれば、夜明け次第、お帰りになられましょうと、かように、お答えしておきました」
「すまないすまない。じじ、かんべんしてくれやい」
厩の横の白梅が、氷の粒みたいに、夜空ににじ みを描いていた。つんと、冷たい梅の香気にも かれて、清盛は顔をしわ めた。・・・・そして、涙が、木工助の肩へこぼれた。
いつのまにか、清盛は、じじの肩に、抱きついていたのである。木工助は、主君の子にそうされて、恐懼きょうく にかたくなっていた。だが、枯れ木のような彼の肋骨の下にも、やがて烈しい感情が波打っていた。性来、泣き虫で多情な清盛の熱いものと、日ごろから、つつみに包み、おさ えに抑えていた老骨のものとが、はず みを得て、どっと、どっちも理性を破って、一緒に嗚咽おえつ し出した。ついには、声をあげて、ひとつ体みたいに、 れたまま、地へ、すわってしまった。
「わ、和子様よ。あなたは・・・・あなたは、このじじを、さまで、お力に思ってくださいますか」
「あったかいのだ。木工もく じじ よ。おまえの、体だけが、俺には、あったかい。── 俺は、ひとりぼっちの寒鴉かんがらす だ。・・・・母は、あんなだし、父上も、ちがっていた。俺は、平ノ忠盛の、ほんとの子ではなかったそうだ」
「げっ、和子様、あなたは、そ、そんなことを、だれに、お聞きになりましたぞ」
「俺は、初めて、父の秘密を知った。・・・・遠藤武者盛遠から、今夜、初めて、聞かされた」
「あ。・・・・あの盛遠が」
「盛遠が、確かに言ったぞ。聞けよ、伊勢の平太、わぬしの、まこと の父は、スガ目殿ではない。さきの白河上皇こそ、生みの父御だ。天皇の子とも生まれながら、すき腹かかえて、その布直垂ぬのひたたれ と切れ草履は何のざまだ・・・・と」
「おっ、 っしゃいますな。そのことは」
その口をふさ ごうとでもするかのように、木工助は、手を振り動かした。清盛は、じじの手首を、顔の前から退 けて、
「まだある。それだけではない、じじ、おまえは、知っているはずだぞ。なぜ、今日まで俺にかく していたか」
はったと、清盛は、大きな眼で めつけた。腕首の痛さと、その眼光に、木工助は、がくがく、骨からふるえが出た。── が、彼もまた、必死を、声にしぼり出した。
「ま、ま・・・・。お心をおしずめなされい。その儀なら木工助からも、あらてめて、お話し申さいではなりませぬ。・・・・あの武者所むしゃどころ の盛遠が、なんと、語りまいたかは、存じませねど」
「いや、盛遠は、こうも言うのだ。・・・・もし、わぬしが、白河の御子みこ でないならば、八坂やさか の悪僧なにがしかの子にちがいない。天皇の子か、悪僧の子胤こだね か。いずれにせい、忠盛のほんとの子ではないことだけは、明白だと」
「な、なにを、盛遠ごとき青二才の、知ったことではございましょうぞ。少々ばかりな学才を鼻にかけ、人をみな愚物に見、自分の行いと来ては、ならず者同様な男と、みなが申しおりますわい。・・・・あんな狷介けんかい な者の言葉を、やすやす、お信じあそばす和子様も軽々かるがる しい」
「じゃあ、じじ、おまえこそ、証拠立てて、言ってみい。この平太は、白河の子なのか、悪僧の胤なのか。さ、どっちだ。言えっ、言ってみろ」
知らぬとは言わさぬぞという語気である。事実、この真相を知悉ちしつ している者は、他人では、彼以外にないことを、正直なじじ自身は、もう顔色に、ありありと、自白していた。

※狷介
自分の意志をかたくなに守って、他に屈服、または他と妥協しないこと。かたいじ。
著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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