父は、寝ているか。まだ起きておられるか。 母は、どうしている? 清盛の心配は、ただそこにあったが、木工助は、彼のたずねも待たず、こう、なだめた。 「さ。何も、お案じなされずに、そっと、臥床
へお入りなさいませ。すぐ、寝屋ねや
のお内へ」 「いいのか、じじ。・・・・父上のお居間へ、伺わなくても」 「明日の朝。ごきげんを見て、じじも一緒に、お詫わ
びに出ましょうほどに」 「でも、怒って、おいでだろうな。わしの帰りの、おそいのを」 「もとより、御立腹には見えました。宵のころ、木工助やあると、ただならぬ御気色みけしき
で。・・・・彼奴きゃつ め、どこを、遊びほうけているやら、塩小路なと見てまいれ・・・・との仰せに、じじめが、心得申して、ほどよう、取りつくろっておきました」 「そうか。何と言っておいてくれたぞ」 「かりにも、大殿おおとの
へ、うそをつく木工助のせつなさを、すこしは、お察しくださりませ。・・・・堀川の叔父御さまのお邸にて、和子様には、御腹痛で寝ておられました。・・・・やがて、御腹痛もおさまれば、夜明け次第、お帰りになられましょうと、かように、お答えしておきました」 「すまないすまない。じじ、かんべんしてくれやい」 厩の横の白梅が、氷の粒みたいに、夜空に滲にじ
みを描いていた。つんと、冷たい梅の香気にも衝つ
かれて、清盛は顔を皺しわ めた。・・・・そして、涙が、木工助の肩へこぼれた。 いつのまにか、清盛は、じじの肩に、抱きついていたのである。木工助は、主君の子にそうされて、恐懼きょうく
にかたくなっていた。だが、枯れ木のような彼の肋骨の下にも、やがて烈しい感情が波打っていた。性来、泣き虫で多情な清盛の熱いものと、日ごろから、つつみに包み、抑おさ
えに抑えていた老骨のものとが、弾はず
みを得て、どっと、どっちも理性を破って、一緒に嗚咽おえつ
し出した。ついには、声をあげて、ひとつ体みたいに、抱だ
き縒よ れたまま、地へ、すわってしまった。 「わ、和子様よ。あなたは・・・・あなたは、このじじを、さまで、お力に思ってくださいますか」 「あったかいのだ。木工もく
爺じじ よ。おまえの、体だけが、俺には、あったかい。──
俺は、ひとりぼっちの寒鴉かんがらす
だ。・・・・母は、あんなだし、父上も、ちがっていた。俺は、平ノ忠盛の、ほんとの子ではなかったそうだ」 「げっ、和子様、あなたは、そ、そんなことを、だれに、お聞きになりましたぞ」 「俺は、初めて、父の秘密を知った。・・・・遠藤武者盛遠から、今夜、初めて、聞かされた」 「あ。・・・・あの盛遠が」 「盛遠が、確かに言ったぞ。聞けよ、伊勢の平太、わぬしの、真まこと
の父は、スガ目殿ではない。さきの白河上皇こそ、生みの父御だ。天皇の子とも生まれながら、すき腹かかえて、その布直垂ぬのひたたれ
と切れ草履は何のざまだ・・・・と」 「おっ、仰お
っしゃいますな。そのことは」 その口を塞ふさ
ごうとでもするかのように、木工助は、手を振り動かした。清盛は、じじの手首を、顔の前から捻ね
じ退の けて、 「まだある。それだけではない、じじ、おまえは、知っているはずだぞ。なぜ、今日まで俺に秘かく
していたか」 はったと、清盛は、大きな眼で睨ね
めつけた。腕首の痛さと、その眼光に、木工助は、がくがく、骨からふるえが出た。── が、彼もまた、必死を、声にしぼり出した。 「ま、ま・・・・。お心をおしずめなされい。その儀なら木工助からも、あらてめて、お話し申さいではなりませぬ。・・・・あの武者所むしゃどころ
の盛遠が、なんと、語りまいたかは、存じませねど」 「いや、盛遠は、こうも言うのだ。・・・・もし、わぬしが、白河の御子みこ
でないならば、八坂やさか の悪僧なにがしかの子にちがいない。天皇の子か、悪僧の子胤こだね
か。いずれにせい、忠盛のほんとの子ではないことだけは、明白だと」 「な、なにを、盛遠ごとき青二才の、知ったことではございましょうぞ。少々ばかりな学才を鼻にかけ、人をみな愚物に見、自分の行いと来ては、ならず者同様な男と、みなが申しおりますわい。・・・・あんな狷介けんかい
な者の言葉を、やすやす、お信じあそばす和子様も軽々かるがる
しい」 「じゃあ、じじ、おまえこそ、証拠立てて、言ってみい。この平太は、白河の子なのか、悪僧の胤なのか。さ、どっちだ。言えっ、言ってみろ」 知らぬとは言わさぬぞという語気である。事実、この真相を知悉ちしつ
している者は、他人では、彼以外にないことを、正直なじじ自身は、もう顔色に、ありありと、自白していた。 |