〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-\ 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (一) ──
ち げ ぐ さ の 巻

2013/01/11 (金) わ ん わ ん 市 場 (二)   

しかし、そこのつじ まで来ると、もう駄目だった。狭い小路こうじ の口から、官能の好む生ぬるい風が、迷いをわら って流れてくる。
「やってるな。いつものが・・・・・」
きじもも や、小鳥のくし きを売っている老婆のそばで、べつな男は、大きな酒瓶さかがめ を、道ばたにすえ、自分も飲んで、酔って、歌いながら、実は目的の、酒売りをやっている。
──また、ひとかごのたちばな の実をひざにかかえ、しょんぼりと、市場の日蔭にひさいでいる小娘もある。下駄げた 売り、沓直くつなお しの父子も見える。干魚や、古着などの、ささやかな物をならべて、露命をつなぐたな の軒も、この一画だけで、百戸以上もあるという。
どれもみな、世の下積みにひしがれた、あわれな雑草の生活たつき の姿でないものはない。
けれど、このぬかるみに根を下ろして、生きぬき、生き合おうとする生命の群れとして ると、おそろしい生存のたたか いが、人の思慮分別をくらまし合っているような雰囲気ふんいき でもあった。どこかで煮焼きする食べ物の煙は、黒い人混みの秘密を包み隠しているようだし、辻博奕つじばくち だの、みだ らな女たちの嬌笑きょうしょう だの、赤ん坊の泣き声だの、放下師ほうかしつづみ だの、そのほか識別しがたい臭気と物音が、耳の穴へ混み入ってくる。いってみれば、百敷ももしき大宮人おおみやびと たちの貴族文化に張り合って、ここの人々が身相応に誇って持つ唯一な楽園なのである。凡下ぼんげ地下人ちげびと だけの花の都なのだ。──だからこそ、清盛の父も、いうのである。あんな場所へ、ゆめ、近づいてはならんぞと。
ところが、清盛は、ここが好きだ。ここの人間たちにも親しめる。市場の西の大えのき の下では、 “醜草市しこぐさいち ” とも、ただ “クサ市” ともよぶ泥棒市がちきどき立つが、それさえ、彼には、愉快に見えた。
「なあんだ。やれ強盗だの山賊だのというが、こうして、食えていれば、仲よく暮らしているではないか。ほんとの悪党は、この中にはいそうもない。いるのは、雲の上ときわ まった。叡山えいざん だの、園城寺おんじょうじ だの、奈良だのにも、金襴きんらん ぐるみの悪仏どもがたくさんに」
彼はいつか塩小路の人ごみにもまれていた。そして、あっちをのぞき、こっちにたたずみ、夕迫るのも忘れて、 うけ歩いていた。

※放下師

小切子を打ちながら、歌舞・手品・曲芸などを行うもの。曲芸師、手品師、放下つかいなど
著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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