しかし、そこの辻
まで来ると、もう駄目だった。狭い小路こうじ
の口から、官能の好む生ぬるい風が、迷いを嘲わら
って流れてくる。 「やってるな。いつものが・・・・・」 雉きじ
の股もも や、小鳥のくし焼や
きを売っている老婆のそばで、べつな男は、大きな酒瓶さかがめ
を、道ばたにすえ、自分も飲んで、酔って、歌いながら、実は目的の、酒売りをやっている。 ──また、ひとかごの橘たちばな
の実をひざにかかえ、しょんぼりと、市場の日蔭にひさいでいる小娘もある。下駄げた
売り、沓直くつなお しの父子も見える。干魚や、古着などの、ささやかな物をならべて、露命をつなぐ棚たな
の軒も、この一画だけで、百戸以上もあるという。 どれもみな、世の下積みにひしがれた、あわれな雑草の生活たつき
の姿でないものはない。 けれど、このぬかるみに根を下ろして、生きぬき、生き合おうとする生命の群れとして観み
ると、おそろしい生存の闘たたか
いが、人の思慮分別をくらまし合っているような雰囲気ふんいき
でもあった。どこかで煮焼きする食べ物の煙は、黒い人混みの秘密を包み隠しているようだし、辻博奕つじばくち
だの、淫みだ らな女たちの嬌笑きょうしょう
だの、赤ん坊の泣き声だの、放下師ほうかし
の鼓つづみ だの、そのほか識別しがたい臭気と物音が、耳の穴へ混み入ってくる。いってみれば、百敷ももしき
の大宮人おおみやびと たちの貴族文化に張り合って、ここの人々が身相応に誇って持つ唯一な楽園なのである。凡下ぼんげ
や地下人ちげびと だけの花の都なのだ。──だからこそ、清盛の父も、いうのである。あんな場所へ、ゆめ、近づいてはならんぞと。 ところが、清盛は、ここが好きだ。ここの人間たちにも親しめる。市場の西の大榎えのき
の下では、 “醜草市しこぐさいち
” とも、ただ “クサ市” ともよぶ泥棒市がちきどき立つが、それさえ、彼には、愉快に見えた。 「なあんだ。やれ強盗だの山賊だのというが、こうして、食えていれば、仲よく暮らしているではないか。ほんとの悪党は、この中にはいそうもない。いるのは、雲の上と極きわ
まった。叡山えいざん だの、園城寺おんじょうじ
だの、奈良だのにも、金襴きんらん
ぐるみの悪仏どもがたくさんに」 彼はいつか塩小路の人ごみにもまれていた。そして、あっちをのぞき、こっちにたたずみ、夕迫るのも忘れて、呆ほ
うけ歩いていた。 |