〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-\ 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (一) ──
ち げ ぐ さ の 巻

2013/01/11 (金) 貧 乏 草 (四)   

今日の使いは分かっている。清盛には読めていた。また親戚しんせき へ金借りに行くのだ。
めずらしいことではない。──先は、父のただ一人の弟、兵部省出仕の北面ほくめん の侍、平ノ忠正の家と、泣きつく所も決まっている。
この正月。──明けて今年は保延三年だが、春早々そうそう から、あの母が、風邪かぜ を重らせて、寝込んだのである。
典医てんい を呼べの。高価な薬を取り寄せろの。やれ、夜具が重いの。こんな食物は病人に食べられぬのと。──例によって、彼女のわがままは、家じゅうを、手こずらせた。
ここ一年の余り、うっかり忘れていた貧乏が、そのために、一夜のうちに、こがらし のようにまた ってきた。
おととし、海賊の平定の功で、忠盛が、めずらしく朝廷から賜った恩賞の品々しなじな も、一封の金子も、あればあるにしたがって、彼の妻の浪費と、ことしの病気とで、むなしく消え、昨今はもう朝晩のかゆ すら、すすりかねて来た。
そこで、毎度なので、書きにくそうな手紙を書いた忠盛は、清盛にさえ、いいにくそうに、
(平太、また、すまんがのう、叔父御おじご のところまで、行って来てくれい)
となった今日の使いなのだった。
平太よ。また、帰りに、塩小路などを、うろつくなよ──。の一言は、気にくわない。
「子どもだって、少しは、楽しみがあってもいいだろう。あわれや、この春で、おれも青春二十歳はたち になる。その若さで・・・・・叔父貴おじき のやしきへ金借かねか りとは」
自分で自分がいとしまれた。こう思っても、決して、不逞ふてい ではあるまいと、清盛は考え考え歩いていた。
「またかよ。平太・・・・・」
叔父の忠正は、てがみを読んで下に置くと、実にいやな顔をした。手紙が求めているものを貸してはくれたが、叔母も出て来て、
「なぜ、和朗わろ は、母方ははかた の身よりへ無心に行きなさらぬ。わろの母御前ははごぜ は、みな、れきっとした、藤原の朝臣あそん とやら、中御門様とやら、きら星な御貴人ぞろいではおわさぬか。また、それが大自慢の、よい母御前をおもちではないのか。──忠盛どのへも、いうてあげたがよい」
それから始まって、清盛を前に、彼の両親の棚卸たなおろし である。子として、これを聞くほど、辛いことはない。清盛は、ぼろぼろ泣いた。
だが、忠正の家庭とて、楽でないことは、彼にもわかる。朝廷にも、院の方にも、衛府や武者所むしゃどころ の制ができて、たくさんな武士をおくことになって来たが、いわばこれらの人間は、野性で勇猛な点だけを取りえに思われて、藤原貴族などからは、紀州犬や土佐犬の性能なみに、番犬視されている。おおやけ奴僕ぬぼく にすぎないのだ。もちろん殿上人てんじょうびと との同席は出来ず、地方に所領はあっても、たいがい山地や未開地である。平氏も源氏も、おしなべて皆 “地下人ちげびと ” と呼ばれていた。給田きゅうでん収入みいり は薄く、余得もなく、武士の貧乏は、通り相場なのだった。

※北面の侍
北面の武士、者ともいい、さぶらい・・・・ ともよむ。上皇の御所を守護する武士。白河院の時初めて設置された。
著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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