今日の使いは分かっている。清盛には読めていた。また親戚
へ金借りに行くのだ。 めずらしいことではない。──先は、父のただ一人の弟、兵部省出仕の北面ほくめん
の侍、平ノ忠正の家と、泣きつく所も決まっている。 この正月。──明けて今年は保延三年だが、春早々そうそう
から、あの母が、風邪かぜ を重らせて、寝込んだのである。 典医てんい
を呼べの。高価な薬を取り寄せろの。やれ、夜具が重いの。こんな食物は病人に食べられぬのと。──例によって、彼女のわがままは、家じゅうを、手こずらせた。 ここ一年の余り、うっかり忘れていた貧乏が、そのために、一夜のうちに、凩こがらし
のようにまた襲や ってきた。 おととし、海賊の平定の功で、忠盛が、めずらしく朝廷から賜った恩賞の品々しなじな
も、一封の金子も、あればあるにしたがって、彼の妻の浪費と、ことしの病気とで、むなしく消え、昨今はもう朝晩の粥かゆ
すら、すすりかねて来た。 そこで、毎度なので、書きにくそうな手紙を書いた忠盛は、清盛にさえ、いいにくそうに、 (平太、また、すまんがのう、叔父御おじご
のところまで、行って来てくれい) となった今日の使いなのだった。 平太よ。また、帰りに、塩小路などを、うろつくなよ──。の一言は、気にくわない。 「子どもだって、少しは、楽しみがあってもいいだろう。あわれや、この春で、おれも青春二十歳はたち
になる。その若さで・・・・・叔父貴おじき
のやしきへ金借かねか りとは」 自分で自分がいとしまれた。こう思っても、決して、不逞ふてい
ではあるまいと、清盛は考え考え歩いていた。 「またかよ。平太・・・・・」 叔父の忠正は、てがみを読んで下に置くと、実にいやな顔をした。手紙が求めているものを貸してはくれたが、叔母も出て来て、 「なぜ、和朗わろ
は、母方ははかた の身よりへ無心に行きなさらぬ。わろの母御前ははごぜ
は、みな、れきっとした、藤原の朝臣あそん
とやら、中御門様とやら、きら星な御貴人ぞろいではおわさぬか。また、それが大自慢の、よい母御前をおもちではないのか。──忠盛どのへも、いうてあげたがよい」 それから始まって、清盛を前に、彼の両親の棚卸たなおろし
である。子として、これを聞くほど、辛いことはない。清盛は、ぼろぼろ泣いた。 だが、忠正の家庭とて、楽でないことは、彼にもわかる。朝廷にも、院の方にも、衛府や武者所むしゃどころ
の制ができて、たくさんな武士をおくことになって来たが、いわばこれらの人間は、野性で勇猛な点だけを取りえに思われて、藤原貴族などからは、紀州犬や土佐犬の性能なみに、番犬視されている。公おおやけ
な奴僕ぬぼく にすぎないのだ。もちろん殿上人てんじょうびと
との同席は出来ず、地方に所領はあっても、たいがい山地や未開地である。平氏も源氏も、おしなべて皆 “地下人ちげびと
” と呼ばれていた。給田きゅうでん
の収入みいり は薄く、余得もなく、武士の貧乏は、通り相場なのだった。 |