〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-\ 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (一) ──
ち げ ぐ さ の 巻

2013/01/10 (木) 貧 乏 草 (三)   

それにひきかえ、母は美しい。まだ二十代とも見えるほどだ。あれで五人の子の母かと、世間のあやしむのも道理である。そのかわり、いくら貧乏が迫ろうと、身のよそお いは崩さなかった。見るに見かねて、召使たちが、食糧の工面くめん もする。そして、かき の古竹やら床板ゆかいた をはいでかし ぎの き物にしたり、幼い子らが、あか じみた身なりでピイピイ泣きながら、尿いばり の垂れ流しをしていようと、彼女は知った顔つきではない。彼女は、良人にも誰にもおか させない塗籠ぬりごめ の一室を持ち、起きれば、蒔絵まきえ櫛笥くしげ や鏡台を開き、暮れれば、湯殿ゆどの で肌をみがく。そしてはときどき、家人でさえ、あっと、びっくりするような衣裳いしょう を着こんで、
(親類の中御門なかみかど 様へ、ごぶさたのお びに行ってまいります)
などと、貴人の外出そのままな容態で、近所の牛車宿くるまやど まで、なよかに歩き、そこからいつも、牛車を雇って出かけて行く。
女狐めぎつね じゃ・・・・・。 あの美しさは」
召使まで、蔭では言った。子飼いの郎党で、もう髪も白くなりかけている木工介もくのすけ 家貞なども、じっとこら える眼をして、よく、泣き止まぬ子を背に負いながら、出て行く子の母を見送ることがあった。夜も、うまや のまわりを、かれの子守歌の声が巡り歩いていることが毎度であった。
そんなときさえ、忠盛は、黒い柱によりかかったまま、瞼をふさいで、黙然と、想い沈んでいるにすぎない。
経盛は、勉強家である。たいがいな場合、われ関せずと、机に向かって、書を読んでいる。
その弟も、清盛も、早くから、勧学院かんがくいん学生がくしょう であったが、しかし清盛は、いつか通学をやめていた。 ──すこしは、学問もたれよ。と父からたまには戒告をうけるが、いまの世上を見ても、家庭をながめても、ばかばかしくて、孔子こうし の書物などは に受けられなかった。父の懶惰らんだ をまねて、弟の机の脇にふん り返り、賀茂競馬のうわさとか、近所の女のはなしなどを持ちかけた。弟が耳をかさないと、天上をにらまえながら、鼻の穴などほじくっている。また、ときには、裏の的場まとば へ飛び出して、にわかに弓を引いてみたり、不意に、うまや の馬にムチを加え、大汗かいて返って来たり──といったふうで、とかく彼には、規矩きく がない。
母も、変わり者。父も変わり者。ひとり次男の経盛が、やや真面目まじめ そうではあった。けれど、かんじんな惣領息子そうりょうむすこ の清盛がまた、このとおり、どこか毛いろ違いにできている。
困った家族だと、感傷になれば、限りもなく厄介な人間同士の寄り合いだった。とはいえ、それらの個性個性を引っくるめての、伊勢平氏という一つの 「家」 は、そのころ、まだ極めて少数な武人の家として、有数な名家には違いない。都の片すみでは、もう数代の祖々おやおや を経ている中流社会の一 であった。そしてこれからも、屋敷畑やしきばたけいも のように、子蔓こづる 孫蔓まごづる を幾代にも世の中へはわせて行くであろうことも確実であった。しかし、清盛はまだ、自分がどんな芋なのやら、運命のつる っているものやら何も自覚はしていなかった。ただ彼の若い生命は、至極、屈託のない、健康なものであったということだけは確かである。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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