いったい彼女は、どんな点を、最も言いたいのか。天に哭
し、地に訴えたいのか。子の清盛も、聞き飽きているが、要約すれば、およそ次のようなことらしい。 まず第一は、良人なる忠盛が、懶惰らんだ
で、生計をかえりみない。幾年でも、家に籠こも
って坐食しているほか、何の能もない。 第二の不平は。──自然、親類の藤原一門とも、行ゆ
き来き がたえ、宮中の五節会ごせちえ
やら、おりおりのお催しなどにも、気恥ずかしくて出られない、あたら、栄花のできる身に生まれながら、つい女の一生を、めちゃくちゃにしてしまった。・・・・・という痛恨。 以上のほか、ややもすると。
「子どもさえなければ──」 という喧嘩の口走りがきっかけと出る。 母の、その最後の決まり文句は、未熟な清盛の心をぐさと刺した。彼は、わけもなく、つらい、悲しい、嗚咽おえつ
にせかれた。そしてもう十六、七ともなったころには、自然、年に似合わぬませた眼め
で、母の胸を憶測おくそく した。 (もし、子どもさえいなかったら?
・・・・・母は、どうするつもりだろう) と。 母は、父に嫁いだのを、後悔している。ままになるなら、今でも別れたいのだろう。そして、別離して、おそまきにでも、栄花のできる世界へ帰り、よく口ぐせにいう親類の公卿仲間の女たちのように、月を簪し、花を着て、牛車に乗りあるき、あの少将、この朝臣あそん
と、浮かれ男相手に恋歌などを取り交か
わして、源氏物語の中の女性みたいな生活を、一ぺんでもしてみたい。そうでなければ、死に切れない。女と生まれたかいもない。──と、あんなふうに、おりおり、油紙に火がつくものにちがいない。 無条件に母を母と信じきれないで、母を観察する眼ばかり日々養われている子の不幸は、いうまでもなかった。 (・・・・・ふん。おれたちが、そんなに邪魔か、ならば、出て行けばよいだろうに。いや、父上も父上だ。なんで、こらえてばかりいるのか。焦じ
れったいなあ。・・・・・くそったれめ。藤原がなんだ。藤家とうけ
の一族に親類があるからとて、あんなにまで、威張り散らされている父上のお気が知れぬわ。・・・・・父上の意気地なしよ。 ──眇目すがめ
の伊勢どのは、美人を妻に持ったため、女房負けしてござるぞと、世間では言っているわ) 清盛とて、二十歳はたち
近くにもなれば、これくらいな義憤は持った。世間の例では、子どもは、母親びいきと決まっているが、彼の家庭では、あべこべだった。父に加担しないのは、まだ母の乳房にいる末子と、わけのわからない三男、四男だけで、次男の経盛なども、冷静な性たち
だけに、もの狂いするときの母の唇くちびる
を、ときには、憎そうにまで、冷ひや
やかな眼で見ていることがある。 そんなおり、この兄弟にとって、世にも情けない気がするのは、父その人の姿だった。まるで、妻にこき下ろされる為に生きている男のように、黙って、やり込められているではないか。世間のあだ名にされている瞼まぶた
の皮のヒッつれた眇目すがめ を伏せて、じっと、自分のひざの拳こぶし
を見ている父・・・・・。 顔に、あばたはあるし、あだ名の通りなスガ目だし、四十幾つの男ざかりだが、父はたしかに醜男ぶおとこ
ではある。正直、子の清盛でも、そう思う。 |