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── 女 た ち の 源 平 恋 絵 巻 ──
巴 御 前
木曾義仲を愛した女武者

2012/11/14 (水) 一所で死にたいとかき口説く巴 (二)

最後に死花を咲かせようと、義仲が兼平の持つ旗を上げさせれば、京・瀬田より落ちて来た者たちが、どこからともなく、三百騎ほども集まった。そこへ鎌倉勢六千騎ばかりが押し寄せて来た。義仲は 「朝日の将軍源義仲ぞや」 と名乗りをあげ六千騎の中へ突っ込み、縦横無尽に駆け割って先へ出れば、三百騎は五十騎に、さらに新手あらて の軍勢を次から次へと駆け割っていくうちに主従五騎にみになってしまった。その中には巴御前も残っていた。
これまでと観念した義仲は巴御前に 「おまえはさっさと落ちのびよ」 と命じた。 「木曾殿は最後の戦に女を道連れにした」 と指弾されることを恥じたのである。しかし、何と言われようとも巴御前は聞き入れない。そうこうしているうちに、大力で知られる武蔵国の恩田師重もろしげ が三十騎ばかりで打って出て来た。それを見た巴御前は 「最後の戦をしてご覧に入れましょう」 と言うなり、師重にいどみかかって、鞍から引きずり落し、その首をねじ切って放り投げてしまった。
こののち、 『平家物語』 には巴御前が鎧兜よろいかぶと を脱ぎ捨てて東国に落ちたと結んでいる。しかし、 『源平盛衰記げんぺいじょうすいき 』 によれば、それとは少し違った物語が展開される事になる。
義仲主従七騎が粟津あわづ に向かって進んでいた時だった。その先頭に立っていた巴御前が、何を思ったか、やにわに兜を脱ぎ、身のたけ に余る黒髪を後ろになびかせて、額に天冠てんかんけ を当て、白打出しろうちだし の笠をかぶった。年は二十八、天女かと思わせるような華麗な姿である。
そこに、 「遠江国の住人内田三郎家吉」 と名乗る武者が郎党を連れてやって来た。家吉は女が勇猛果敢で鳴らした巴御前と分かると、一騎打ちを挑み、馬の頭を押し並べて 「えたりやおう」 と組み合った。しかし、組み合いの最中に腰刀を抜いて首を掻こうとする家吉の卑怯ひきょう な振る舞いに怒った巴御前は、相手の刀を叩き落して 「我をいくさ の師と頼め」 と言うなり、鞍の前輪に家吉の兜を押し付け、その首を掻き切ってしまった。
巴御前が差し出した首を見て、義仲は 「この義仲も運尽きれば、何者かの手にかかり、あえなく犬死にするだろう」 としみじみと語り、 「我が討たれたあと、木曾殿は少しでも生きの延びたいと女に先陣を駆けさせた、と言われては武士の名折れ。すぐにもここから落ちよ」 と巴御前に命じた。 「幼少の頃より、野の末、山の奥まで一つ道にと決心して参りました。一所に首を並べて死にとうございます」 と巴御前も必死の思いで掻き口説くが、義仲は信濃に妻子を捨て置いてきたことに言及して、 「早く信濃に落ち延びて、義仲の最後の様を語り、後世を弔ってくれ」 と巴御前を かせた。
著:高城 修三  発行所:京都新聞出版センター ヨリ
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