〜 〜 『 寅 の 読 書 室 Part T-[』 〜 〜
── 女 た ち の 源 平 恋 絵 巻 ──
巴 御 前
木曾義仲を愛した女武者
2012/11/14 (水) 一所で死にたいとかき口説く巴 (一)
寿永三年正月二十日、範頼軍三万五千が瀬田川を、義経軍二万五千が宇治川を渡った。その報に驚いた義仲は、院の仮御所に駆けつけた。後白河院を奉じ、平家と連携して鎌倉軍に対抗しようとしたのだが、門は堅く閉じられて中に入れない。しかも義経の軍勢がすでに鴨の河原にまで攻め入ったとの報せが入る。そんなときに、まっすぐ戦場には向かわず、六条高倉に向かった。
六条高倉の邸には藤原基房の美しい娘がいた。義仲が都で
見初
(
みそ
)
めた女で、最後の名残を惜しもうとしたのだが、なかなか思い切ることが出来ず、いつまでたっても
帳
(
とばり
)
から出て来ない。義仲に付き従っていた新参者の
越後中太
(
えちごのちゅうた
)
家光は、 「敵がすでに鴨の河原まで攻め寄せているというのに、このありさまは何たる事か」 と
憤
(
いきどお
)
って、切腹して果ててしまった。それと知って、義仲はようやく気を取り直したが、すでに仮御所は義経の手に落ちてしまっていた。
一気呵成
(
いっきかせい
)
に敵の要所を衝くのが義経の戦法である。
それならばと、義仲は六条河原を埋めた敵の大軍目がけて斬り込んだ。何とか敵陣を突破した義仲は、範頼軍を迎え撃つために瀬田に派遣した乳兄弟の兼平に会いたいと思った。木曽を出るときから、 「死なば一所で」 と誓い合った仲である。義仲は三条河原に出て、瀬田に向かおうと東を目ざした。
それをさえぎるように、武蔵国の畠山
重忠
(
しげただ
)
は郎党を引き連れて現れた。重忠は義仲勢の中に、
萌黄縅
(
もえぎおどし
)
の
鎧
(
よろい
)
を着け、たくましい
葦毛
(
あしげ
)
の馬に置いた
巴摺
(
ともえずり
)
りの鞍にまたがって、弓でも刀でも
強力
(
ごうりき
)
ぶりを発揮する一人の武者を見つけた。 「あれは何者か」 と家来に尋ねると、 「
強弓
(
つよゆみ
)
にすぐれ、荒馬乗りの上手として聞こえている巴という女で、義仲の
乳母子
(
めのとご
)
にして愛人、
戦
(
いくさ
)
においては大将軍、一度も不覚を取ったことがないと聞き及びます」 と言う。義仲の愛人と聞いて、重忠は巴御前を生け捕りにしようと挑みかかり、左手の鎧の袖に取り付いた。これは叶わないと思ったのか、巴御前はとっさに信濃第一の強馬 「春風」 に一ムチ当てて逃げ延びた。重忠はそれを見て、 「これは女に非ず、鬼神の振る舞い」 と怖れたという。
三条白川から東に進み、
粟田口
(
あわたぐち
)
を越え、ようやく山科の四ノ
宮
(
みや
)
河原に出た時、義仲の主従はわずかに七騎にすぎなかった。そこから
逢坂
(
おうさか
)
山を越え、大津の
打出
(
うちで
)
の浜まで来た時だった。瀬田から敗走してきた兼平の五十騎ばかりが旗を巻いて都の方へ向かうのに行き会った。義仲は駒を速めて駆け寄り、 「六条河原で果てるべきであったが、そなたの
行方
(
ゆくえ
)
が恋しさに敵中を突破してここまで来た」 と言えば、兼平も 「瀬田で討死すべきところを殿の行方を求めてここまで参りました」 と言う。
著:高城 修三 発行所:京都新聞出版センター ヨリ
Next