橋供養から半年が過ぎた秋半ばのことだった。悶々
として日々を送っていた盛遠が意を決して叔母の家に押し入り、刀を突きつけて思いのほどを打ち明け、袈裟に会わせなければ殺すと威おど
した。尋常じんじょう の顔つきではなかった。やむなく承知した衣川は風邪かぜ
を病んだと偽って、 「忍んでただ一人で来ておくれ」 と文を遣わし、密かに袈裟御前を呼び出した。 「何事やらん」 と驚いて母のもとに駆けつけた袈裟御前に、衣川は事の次第を涙ながらに打ち明け、
「今夜、あの盛遠が再びやって来て命を奪われるよりも先に、私を殺しておくれ」 と言う。思い悩んだ袈裟御前は、夫に深く詫びつつも、母の命にかえるわけにはいかぬと、涙をこぼしつつ夜を待った。 色好みを気取って上機嫌で叔母に家にやって来た盛遠と、やむなく一夜を過ごした袈裟御前は、明け方、
「一度家に戻りたい」 と暇を乞うた。しかし、盛遠は許さない。太刀を抜いて傍かたわら
らに突き立て、 「ひとたび契ちぎ
りを結んだからには命がけだ。そなたのためには命も惜しくはない。そなたの災難は、盛遠の災難、また渡の災難、三つの災難が一度に来る宿縁であるに違いない」 と覚悟を決めた形相ぎょうそう
である。しばらく思案した袈裟御前は 「いとまを乞うたのは、あなたの思いの深さを知ろうとしてのことです」 と言い、何やら思い切った様子で、 「かくなるうえは夫の渡を殺して欲しい」
と盛遠に持ちかけた。今夜は渡に髪を洗わせ、酒に酔いつぶれさせ、高台で寝かせるから、濡れた髪を探って殺してくれと言うのである。喜んだ盛遠は、さっそく夜討の支度したく
にとりかかった。 その夜、打ち合わせどおりに渡の家に忍び込んだ盛遠は、闇の中に濡れた髪を探り当て、一刀のもとに首を掻か
き切った。それを袖そで にくるんで我が家に帰った盛遠が、空寝そらね
をしながら本懐を遂げた悦びに浸っていると、そこへ郎党一人が駆けつけてきて、 「今夜、袈裟御前が何者かに首を斬られたとの報しら
せがありました」 と告げたのである。 驚いた盛遠が袖にくるんであった首を取り出して見れば、紛まが
うことなき袈裟御前の首である。三年の恋は夢か、一夜の契ちぎ
りは何であったかと、盛遠は声をかぎりに泣いて、我が身を責め立てた。袈裟御前は自ら討たれる覚悟を決めて、自分の髪を濡らし、夫にかわって床に就いていたのである。 深く無常を感じた盛遠は袈裟御前の首を抱えて、悲嘆にくれている渡を訪ね、自ら犯人であると名乗って首を討たれようとした。しかし渡は、
「懺悔ざんげ する者の首を斬っても仕方がない。自害してもらっても意味がない。今生こんじょう
の我執がしゅう を起こして来世らいせ
の苦難を招いては、そなたにも我にも益はない。よくよく考えてみれば袈裟は観音菩薩ぼさつ
が化身して我らに道心を起こさせようとしたのに相違ない」 と言ったかと思うと、刀を抜いて自らの髻もとどり
を切ってしまった。これを見た盛遠は渡を七度礼拝して、同じように髪を切った。そればかりか、この感動的な場面を目の当たりにした男女三十余人が出家をしてしまったという。叔母の衣川も尼になった。 母に孝行、夫に貞操ていそう
を立てねばと思い余った果てに、自らの死にすべてをゆだねた袈裟御前があとに残した手紙には、次の歌が書き添えられていた。 |