これに似た今様が 『梁塵秘抄』
に採られている。そこでは 「仏も凡夫も共に仏性
を具しているのに、悲しいことに我らはそれに気づかないでいる」 となっているが、祇王は即興で後半の二句を少し変えて、仏御前 (仏)
と祇王たち (我等) を無慈悲に隔てている清盛への恨みを隠した歌にしたのである。 祇王が泣く泣く二へん歌うと、その場に居並ぶ平家一門の人々も心中を推お
し量はか って涙を流さぬ人とてなかった。清盛も祇王の思いを感じ取ってか
「当座の歌として神妙である」 などと誉ほ
め、 「これからもたびたび参って、今様を歌い、舞を舞って、仏をなぐさめよ」 と命じた。 涙を抑えてその場を退出した祇王はこれ以上の辱はずかし
めは受けられないと自害しょうとした。だが、母に泣きつかれて、それもできない。祇王は思い余って尼となり、嵯峨野の奥の山里に柴の庵をむすんで、念仏に明け暮れた。祇王二十一歳のときだった。続いて、祇女十九歳、刀自四十五歳も髪を下ろし、祇王のもとに駆けつけ、ひたすら念仏修業して、あの世での極楽往生を願う毎日となった。
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