〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-[』 〜 〜
── 女 た ち の 源 平 恋 絵 巻 ──
祇 王 と 仏 御 前
清盛に翻弄された白拍子

2012/11/09 (金) 仏御前に心を移す清盛 (二)

今様は当世風を意味する言葉で、今日の流行歌に当る 「今様歌」 を略して言ったものである。七五調四句が一般的で、十二、三世紀に爆発的な流行を見せた。その中心に立っていたのが、 『梁塵秘抄りょうじんひしょう 』 を編纂へんさん した後白河院で、十余歳のころから今様に飽くことのない執心を見せて、春夏秋冬、昼夜うたい暮らし、精進練磨を怠る事がなかったとい。その道の上手がいると聞けば、遊女乙前おとまえ をはじめ身分の上下にかかわらず教えを受け、ついに今様の第一人者となった。後白河院に取り入って出世の道を開いてきた清盛が今様歌に興味を持っていたのも、その政界遊泳術のなせる業であったかも知れない。
仏御前の歌が三べん歌い済まされると、その場にいた人々は、仏御前の美しい姿、美しい歌声にことごとく感じ入った。清盛も興味を覚えて、 「この分では舞いも上手やも知れぬ。ひとつ見てみたいものだ」 と仏御前の舞を所望しょもう した。これまた、素晴らしい舞であった。清盛はたちまち仏御前に心を移して召し抱えようとした。 『源平盛衰記げんぺいじょうすいき』 によれば、仏御前の美しさに惑った清盛は、舞い終わった仏御前を横抱きにして寝所に運び込んだという。
今を時めく清盛さまが私の歌と舞を認めてくださった。その上、召し抱えようとまで言ってくださる。しかし、私をこの場に招いてくれた祇王御前は、何と思われるか。祇王に恩義を感じる仏御前は 「早くおひま をください。私をこの邸から出してください」 と懇願した。ところが清盛は、 「祇王をはばかってのことなら、祇王を追い出そう」 と言う。これに驚いた仏御前が 「一緒に召し抱えられるのさえ心苦しいことですのに、私一人が召し置かれたなら、祇王御前が私のことをどう思われるか、その心の内を思うと恥ずかしい限りです。お召しがあればまた参りますので、今日はお返しください」 とすがっても、清盛は声を荒げて 「どうしてそんなことが許されようか。祇王、すぐさま出て行け」 と言うばかりであった。
清盛の寵愛がうすれ、いつかは捨てられると予感していた祇王だったが、それでも昨日今日のこととは思っていなかった。早く出よと清盛の使いが来るなか、祇王は住み慣れた部屋を整理し、掃き清め、せめてもの忘れ形見にと、泣く泣く部屋の襖に歌をしたためた。
もえ出るも 枯るるも同じ 野辺の草  いづれか秋に あはではつべき
仏御前を 「もえ出る草」 に、祇王自らを 「枯るる草」 にたとえ、 「秋」 に 「飽き」 を掛けている。今は萌え出る春の若葉のような仏御前も、私と同じように、いつかは清盛に飽きが来て捨てられるというのである。
著:高城 修三  発行所:京都新聞出版センター ヨリ
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