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── 女 た ち の 源 平 恋 絵 巻 ──
祇 王 と 仏 御 前
清盛に翻弄された白拍子

2012/11/08 (木) 仏御前に心を移す清盛 (一)

祇園精舎ぎおんしょうじゃ の金の声、諸行無常しょぎょうむじょう の響きあり。沙羅双樹しゃらそうじゅ の花の色、盛者必衰じょうしゃひっすい のことわりをあらはす。おご れる人も久しからず、ただ 春の夜の夢の如し。たけき者もつい にはほろびぬ、ひとえ に風の前のちり に同じ。
この名文を冒頭に掲げた 『平家物語』 は、 「諸行無常」 「盛者必衰」 が普遍のことわりであることを、源平争乱の物語に、なかんずく平家一門の盛衰のうちに示そうとした。その一巻に収められた 「祇王」 の章は、平家一門のみで日本六十六ヶ国のうち三十余国を支配して、清盛が一天四海いってんしかい をたなごころにおさめていたとき、世のそし りもはばからず、不思議な事ばかりをした。一例として、都で評判を取った白拍子しらびょうし 祇王ぎおう仏御前ほとけごぜん の哀切な出家物語を挙げている。
平家全盛のころ、都に白拍子の名手として聞こえていた祇王・祇女の姉妹がいた。姉の祇王は清盛がいたく寵愛ちょうあい するところとなって祇王御前と呼ばれ、姉妹ともども世の人々にもてはやされた。六条堀川に住んでいた母の刀自とじ にも立派な屋敷が与えられ、毎月多大な金品が届けられた。そうした幸運にあやかろうと、都には祇一・祇福など 「祇」 の一字を我が名に付ける白拍子がたくさん現れたほどであたっという。
祇王に満ち足りた三年が過ぎたころ、加賀の国の出身で、仏御前と呼ばれる白拍子の名手が都に現れた。年は十六であったという。
都で一方ならぬ評判を取った仏御前は 「天下に名を知られた白拍子でありながら、今を時めく平家の入道殿に召されないのはくやしいかぎり」 と、清盛と正室時子ときこ の住む西八条邸におもむいた。しかし、清盛は 「たとえ神であれ仏であれ、祇王のいるところに押しかけてくるとは何事か」 と、仏御前をすげなく追い返そうとした。それを押しとどめたのは、祇王であった。清盛に召される前の自分を想ったのである。 「遊び が押しかけてくるのは世の習い、しかも年幼いとのこと、同じ白拍子として他人事とも思われません。このまま追い返すのはかわいそうです。せめて御対面なりとも」 と取り成す祇王に、清盛は 「それほどまでに言うなら、会ってやろう」 と、すでに車に乗って帰ろうとしている仏御前を呼び戻させた。
仏御前に対面した清盛は 「祇王があまりにしつこく勧めるから、会うことにした」 と断ってから、 「このように会ったからには、何はともあれ聞かねばなるまい。今様いまよう を一つうたえ」 と仏御前に命じた。清盛は周囲の者への配慮に厚く、巧みに人の心を読み、操縦することにもたけていた。評判の高い仏御前への興味を隠した、祇王に勧められたから仕方なく聞いてやるのだと取りつくろった清盛の思惑を知ってか知らずか、ただ天下一の白拍子をかけて仏御前がうたった。
君をはじめて見るをりは
千代も経ぬべし姫小松
おまえの池なる亀岡に
鶴こそむれゐてあそぶめれ
清盛を 「君」 に、自分を 「姫小松」 にたとえ、 「千代」 「亀」 「鶴」 など長寿を寿ことほ ぐ言葉をつらねて、清盛と西八条邸の繁栄を祈り、自分もそれにあやかりたいとという祝言しゅうげん の歌である。こうした歌も今様として盛んに歌われていたのである。
著:高城 修三  発行所:京都新聞出版センター ヨリ
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