〜 〜 『 寅 の 読 書 室 Part T-[』 〜 〜
── 女 た ち の 源 平 恋 絵 巻 ──
北 条 政 子
夢を買って尼将軍になった女
2012/11/26 (月) 征夷大将軍の妻になった強運
北条政子
(
ほうじょうまさこ
)
は
伊豆
(
いず
)
の豪族北条
時政
(
ときまさ
)
の長女として生まれたが、実の母は
義時
(
よしとき
)
と政子を残して早くに亡くなり、時政は
牧
(
まき
)
の方を後妻にしていた。頼朝の助命嘆願をした
牧
(
いけ
)
の
禅師
(
ぜんじ
)
(平忠盛の後妻)
の
姪
(
めい
)
に当る女性である。その牧の方に生まれた十九歳になる妹が、ある日、 「高い山に登って
袂
(
たもと
)
に日月を入れ、実が三つ付いた
橘
(
たちばな
)
の枝を頭にかざしている不思議な夢を見ました」 と政子に打ち明けたのだった。
これを聞いた政子は、妹の夢を
吉夢
(
きちむ
)
と判じて 「吉夢を他人にもらすと
狂夢
(
きょうむ
)
に変わるというから、私がその夢を買ってあげましょう」 と持ちかけ、北条家に伝わる
唐物
(
からもの
)
の鏡と
小袖
(
こそで
)
を妹に与え、吉夢を買い取った。
この夢買いによって、政子は後に、伊豆に流されていた源氏の
嫡男
(
ちゃくなん
)
たる源頼朝と結ばれ、頼朝亡き後は尼将軍として君臨する事になった。 『
曾我物語
(
そがものがたり
)
』 に見える有名な伝説である。地方豪族の娘から
征夷大将軍
(
せいいたいしょうぐん
)
の妻となった政子の強運を説明するには、こうした奇談が欠かせなかったのであろう。
平治
(
へいじ
)
の乱
(1159)
に敗れた源義朝の遺児頼朝は、清盛の継母池の禅師によって危うく一命を救われ、伊豆の
蛭
(
ひる
)
ヶ小島に流された。十四歳の時であった。頼朝は
乳母
(
めのと
)
の
比企尼
(
ひきのあま
)
やその近親の者たちの援助を受け源氏一門の
菩提
(
ぼだい
)
を弔いながら配所で暮していたが、やがて東海岸に勢力を持つ伊東
祐親
(
すけちか
)
の娘と恋仲になり、
千鶴
(
せんづる
)
と呼ばれる男子が生まれた。ところが、これを知った祐親は平家の追及を怖れて三つになる千鶴を川に沈めて殺し、さらに兵を差し向けて頼朝まで
亡
(
な
)
き者にしようとした。
それを察知した頼朝は、やむなく北条氏を頼った。時政は源氏の
嫡流
(
ちゃくりゅう
)
である頼朝を温かく迎え、我が子義時の宿所を 「東の御所」 と改めて頼朝に提供した。北条の娘たちが、この貴公子を放っておくはずはなかった。
時政が
大番役
(
おおばんやく
)
に都に上っている間に頼朝と政子は結ばれるが、継母の牧の方は、頼朝を我が娘の
婿
(
むこ
)
にと考えていたので、使者を送って事の次第を時政に告げ口した。これには時政も驚いた。すでに時政は都において伊豆の平家の
目代
(
もくだい
)
山木兼隆
(
やまきかねたか
)
を政子の婿にと約束していたのである。
目代と共に伊豆の国府に戻った時政は、頼朝と政子のことは知らぬふりをして、牧の方と謀り、政子を兼隆の館に送り込んだ。しかし政子は一夜を明かさぬうちに密かに館を抜け出し、激しい雨の中を頼朝のもとに走ったのである。
これは 『曾我物語』 に見えている話だが、このあと頼朝と政子は
伊豆山権現
(
いずさんごんげん
)
に
参籠
(
さんろう
)
していたところ、ある夜、頼朝の従者
安達盛長
(
あだちもりなが
)
が訪ねてきて不思議な夢を見たと報告した。それによれば、頼朝が南を向いて箱根の山に立ち、小松三本を頭にさして、左右の
袂
(
たもと
)
に日月を宿し、左足は奥州の
外浜
(
そとのはま
)
、右足は西海の
鬼界
(
きかい
)
ヶ島を踏まえていたというのである。政子が妹から買ったとされる夢にも似ているが、この話を聞いた平
景義
(
かげよし
)
は 「頼朝様が外浜から鬼界ヶ島を踏まえられたのは、日本全国を支配されることを表わし、日月を宿されたのは天皇・上皇の後見として大将軍となられるしるし、小松三本は御子孫が三代まで天下を治めることを示しています」 と夢合わせをした。
また政子もこの時奇妙な夢を見ている。日本六十余州を映し出す不思議な鏡を伊豆山権現より授けられたので、政子がそれを頼朝に捧げると、頼朝は 「自分には用がない、女房のものだ」 と言ったという。
頼朝の征夷大将軍拝任や政子の
尼
(
あま
)
将軍を暗示している夢だが、その真偽はともかく、政子の一途な思いを前にして時政も二人の仲を認めざるを得なかった。政子二十一歳、頼朝三十一歳のときであった。この結婚が伊豆の地方豪族に過ぎなかった北条氏に大きなチャンスをもたらした。もちろん時政には、北条氏の先祖になる平
直方
(
なおかた
)
が源氏の棟梁
頼義
(
よりよし
)
を娘婿にとって
八幡太郎義家
(
はちまんたろうよしいえ
)
ら三男二女をもうけ、大いに家の栄となったことも考慮の中にあっただろう。
著:高城 修三 発行所:京都新聞出版センター ヨリ
Next