〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-[』 〜 〜
── 女 た ち の 源 平 恋 絵 巻 ──
静 御 前
九郎判官義経を慕う白拍子

2012/11/25 (日) 大峰の女人結界で永遠の別れ (二)

吉野山は大峰山おおみねさん に続く修験道しゅげんどう の霊地で、七世紀後半には役行者えんのぎょうじゃ によって金峯山寺きんぷせんじ が開かれている。大海人皇子おおあまのおうじ が再起を期して隠れた吉野宮滝みやたき も近い。吉野は古くから、政争に敗れた者や反逆者たちが隠れる所であった。
冬の てつく谷を渡り、峰を越えて吉野山に入った一行は、五日ほど金峯山寺の吉水院きっすいいん に隠れていたが、吉野山の僧兵たちが蜂起して義経を捕えようとしていると聞いて、山伏姿に身をやつし、さらに山深い大峰山中に逃げることになった。厳しい逃避行が予想された。剛の者の弁慶さえ 「これ以上、女人を連れて逃げるのは危険ではないか。四国へ渡る船に女人を乗せたのさえ不満だったが、こんな山深くまで女人を連れて来るとは理解し難い」 と思わず愚痴をこぼし、 「ひとまず別行動を取って生き延びようではないか」 と言い出す始末しまつ である。これを聞きつけた義経は、静に思いを残せば彼らと仲違いせねばならぬと心を乱した。
大峰山は女人にょにん 禁制である。その結界けっかい まで来た時、義経もようやく静御前と別れる決意を固め、都に戻って磯禅師のもとで隠れているようにさと した。もはや進退窮まった。静御前は 「ここで一思ひとおも いに殺してください」 と義経の膝に泣き伏すしかなかった。そんな静御前に、義経は 「これを朝夕見るたびに、義経を思い出してくれ」 と小さな鏡を与えた。静御前は鏡を胸に押し?いだ いて、涙ながらに歌を詠んだ。

見るとても ?うれ しくもなし 増鏡  恋しき人の 影を止めねば
恋しいあなたの姿を留めてくれない鏡など見ても嬉しくはありません。この静御前の一途?いちず な思いを聞いた義経は、自らの旅の枕を取り出して、歌を返した。
急げども ?ゆ きもやられず 草枕  静に馴れし こころ?ならひ
静御前を思いやる気持を降り捨てるように、義経は屋島合戦のときに手に入れた 「初音はつね 」 という秘蔵の鼓や財宝を与え、静御前を都まで送る下人げにん を付けると、いずこへともなく姿を消した。一方義経と別れた静御前は吉野山を途中まで下ったところで下人たちに宝物を奪われ、雪深い山中に置き去りにされてしまった。
やがて日も暮れてきた。通る人とてない。静御前は物悲しく照る月の光をたよりに雪の山道をさ迷って、翌日の夕方、ようやく蔵王堂ざおうどう にたどりついた。その日は、十一月十七日で蔵王権現の縁日であった。静御前が 「九郎判官殿に今一度引き合わせたまえ」 と念じていると、老僧から声を掛けられ、 「権現の託宣たくせん だから」 と法楽ほうらく の舞を所望された。
在りのすさみのにくきだに
在りきの後は恋しきに
かで離れし面影を
何時いつ の世にかは忘るべき
普通にいたときは憎いことさえあった人でも、いなくなった後は恋しくなるものなのに、恋しいままに別れた人の面影を何時の世になったら忘れられようか。静御前は舞っているうちに別れた義経を想い、涙があふれ、泣き伏してしまった。ところが見物人の中に静御前を見知っている法師がいたために、静御前は捕えられ、義経と別れた場所を白状させられたうえで、母の住む京都東山ふもとの北白川きたしらかわ に送り返された。
著:高城 修三  発行所:京都新聞出版センター ヨリ
Next