〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part Z』 〜 〜
「 恋 の 物 語 」 に 秘 め ら れ た 謎
恋 が 二 人 を 選 ん だ

2012/11/04 (日) 恋 人 と し て の 日 々 (一)

だが、ここで運命に弄ばれることになる。日本人の廣瀬武夫は、客好きのコヴァリスキー家を訪れるようになり、娘のアリアズナに恋をするのである。素晴らしい街をロマンチックに散策することも、スケート場、夏の庭園、エルミタージュに足を伸ばすこともあった。後にアリアズナ自身が、エカテリーナ運河九十六にある独り者の廣瀬の住居を何度も訪れている。廣瀬の死後、プーシキン、レールモントフ、ツルゲーネフ、トルストイ、ゴーゴリの作品集を含むロシアの書籍からなる、非常に立派な蔵書が残されていた。書籍の一部はアリアズナの助言により購入されたということもあり得るし、あるいは、本を買う時彼女が一緒だったかもしれない。廣瀬は、アリアズナ同様、とても文学が好きだった。彼は自分でも詩を書いた。ロシアの詩人では特にプーシキンを、作家ではゴーゴリを好んでいた。ロシアの友人たちは、彼にタラス・イヴァーノヴィッチというロシア名まで与えた。恐らく彼の口髭と頑丈な体格が、彼らにタラス・ブーリバ (ゴーゴリの小説の主人公でコサックの隊長) を連想させたのだろう。彼の本名の武夫も 「T」の文字で始まっている。
廣瀬はコヴァリスキー大佐に近づく必要があった。彼はコヴァリスキー大佐の家族と親しくなることを喜んだ。彼が寒くて日差しの乏しいペテルブルクで孤独だったことは想像に難くない。だが彼はこコヴァリスキーの娘に恋をするつもりはなかった。
今後の昇進のためには、名士で有力な父親を持った、相応の身分の日本女性と結婚することがベストだった (廣瀬はそれを望んではいなかったが) 外国人女性との結婚などは歓迎されていなかった、というより禁じられていた。外国人女性、それもロシア女性との結婚は、自らの出世に終止符を打ちかねなかった。
外国語を習得するためには、学んでいる言語の国の人と親しくなる必要があるという正当な意見もあるとはいえ、廣瀬の気質はこの様な月並みの考え方に反対だった。誰かと簡単に親しくなって、しばらく暮らし、別れるという、ありふれた踏みならされた道を選ぶには、彼は極めて首尾一貫して真面目で、誠実で、高潔な人間だった。廣瀬は自分がロシアに住むことにならないことを知っていた。このため彼は、恋に邁進しなかったのである。むしろ恋を避けていた。
だが我々が恋を選ぶのではなく、恋が我々を選ぶのである。
廣瀬はアリアズナに恋をした。そして彼女以降、もう誰も必要なくなった。
彼は彼女と結婚で出来なかったが、彼は結局誰とも結婚しなかった。

著:スヴェトラーナ・フルツカヤ
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