2012/11/04 (日) 恋 人 と し て の 日 々 (二)
アリアズナも廣瀬に恋をした。彼は、ハンサムで聡明で、見事な教養があり、地位があった。このため両親は、多分、反対することもなく、受け入れたのだろう。彼は家族の一員となった。廣瀬は日本に去った後、彼らは文通していた。廣瀬が日本で受け取った、1902年 (明治三十五年) 付のアリアズナの手紙がある。この手紙は、いかに彼らが親しかったかを照明している。残念ながらロシア語のオリジナルを私は見ていない。このため、廣瀬自身が親族のために日本語にした文章を現代文にして大意を紹介する。