〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part Z』 〜 〜
「 恋 の 物 語 」 に 秘 め ら れ た 謎
恋 が 二 人 を 選 ん だ

2012/11/04 (日) 恋 人 と し て の 日 々 (二)

アリアズナも廣瀬に恋をした。彼は、ハンサムで聡明で、見事な教養があり、地位があった。このため両親は、多分、反対することもなく、受け入れたのだろう。彼は家族の一員となった。廣瀬は日本に去った後、彼らは文通していた。廣瀬が日本で受け取った、1902年 (明治三十五年) 付のアリアズナの手紙がある。この手紙は、いかに彼らが親しかったかを照明している。残念ながらロシア語のオリジナルを私は見ていない。このため、廣瀬自身が親族のために日本語にした文章を現代文にして大意を紹介する。

親愛なる 武夫さん
すっかり諦めていたとき、ようやく私は貴方からのお手紙を受け取りました。長らく待ちわびた手紙には葉書や写真も添えられ、お手紙をいただき、とても嬉しく思いました。貴方の私に対する思いがこれまでと変わらぬこと、貴方は私の存在をお忘れでないことが、お手紙から察せられます。ただ残念なことに、貴方の様子や、何をなされておられるのか、貴方はご自分のことを何も書いておられません。貴方がなされているkとや、貴方の暮らしについて、私は知りたく存じます。
二人の人生の意味、私の生活の喜びは、貴方の生活のすべてを細かく知ることにあります。
兄弟の 「トーリャ」 は当方への旅、日本への旅から、つい最近ペテルブルクに戻ったところです。 (著者注:トーリャはアナトリーの愛称。当時、アナトリーはバルチック艦隊の大型戦艦 「ナヴァリアン」 の当直長だった) 。彼はすっかり感嘆して帰ってきたのですが、日本は天国のような国だと、色んなところでいっております。私もそのように考えない根拠を持ち合わせていませんし、日本が素晴らしい国だと思っております。
私の家族は貴方のことを益々頻繁に思い出すようになっています。私たちは自宅で貴方にお会いすることにすっかり慣れてしまったため、貴方がいつも私たちといることに慣れてしまったため、私たちは貴方なしではとても憂鬱なのです。貴方なしで特に憂鬱なのは私です。
何よりも、貴方にあらゆる幸せがあらんことを心から望んでおります。
キスします。あなたのアリアズナ
アリアズナ・コヴァリスカヤ
追伸 私が撮影した写真をお送りします。
(フルツカヤ注:廣瀬はところどころ 「中略」 にしたりするなどして手紙を訳していない。ロシア語の文章に読めないところがあったのかもしれない)
著:スヴェトラーナ・フルツカヤ