〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part Z』 〜 〜
「 恋 の 物 語 」 に 秘 め ら れ た 謎
恋 が 二 人 を 選 ん だ

2012/11/04 (日) ア リ ア ズ ナ と の 出 会 い

日本の資料によれば、彼は1899年七月にペテルゴにおける海軍相のレセプションンの席でアリアズナの父親と知り合っており、その後、家族を訪問するようにもなった。
コヴァリスキー大佐の娘アリアズナは、1899年七月二十二日 (ロシア暦九日) に二十三歳になった。適齢期のお嬢さんである。だが、相続財産が少ないせいか、あるいはえり好みしすぎていたためか、婚約者はいない。文学が好きなのだ。1899年には、父親のコヴァリスキー・アナトリー・アンドレーヴィッチは海事技術委員会の大佐、機雷敷設および電気工学の専門家で、海軍兵学校でこれらの科目の教鞭を執っていた。母親の名前はエレオノラ・カルロブナといい、ドイツの出身だった。
家族にはアリアズナの他に二人の弟、アナトリー (1877年十月二十四日生まれ) とアンドレイ (1888年十月十九日生まれ) がいた。アナトリーは1896年に海軍兵学校を卒業した。アンドレイはまだ兵学校で学んでいた。
1901年まで家族はヴァシリエフスキー島十の二十一に住み、その後は十六の十一の十三に引っ越した。転居は父親の出世に関係があったのかも知れない。1900年四月二十四日にコヴァリスキー大佐は機雷敷設主任監督補佐に任命されている。家族の生活はとても質素だったと見られる。父親の俸給に頼る以外に、彼らには私有財産がなかった。
コヴァリスキー大佐は、機雷敷設の非常に優れた専門家だったようである。与えられた職務以外にも、彼は海事技術委員会で出版される 「機雷敷設会報」 の編集長を1886年から務め、1901年には教科書 『機雷敷設と電気工学。上級海軍士官候補生コース』 を発行している。
廣瀬が年上のコヴァリスキー大佐との交際において、どれだけ誠実であったかは判断しづら。彼が専門的観点から、また駐在海軍武官輔佐官、つまり諜報員の一人として、そして水雷士官として、この大佐に興味を持った可能性はある。

著:スヴェトラーナ・フルツカヤ
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