〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part Z』 〜 〜
「 恋 の 物 語 」 に 秘 め ら れ た 謎
ア リ ア ズ ナ と は 誰 か ?

2012/11/03 (土) ア リ ア ズ ナ を 巡 る 仮 設

仮説の一つに、廣瀬と恋に落ちたのはアリアズナという名ではなく、ミハロフの後の水路管理局長A・I・ヴィリキツキーの娘ヴェラだったというものもある。第一に、これについて著名な海軍医Ya・I・ケフェリが回想録で触れている。第二に、ヴィリキツキーの息子ボリス (彼は後に北極海航路の探検家となる) が廣瀬の親しい友人だったことは知られている。彼らは頻繁に相手を訪問しては、少なからぬ時間を共に過ごしていた。廣瀬がロシアを去ってからも、彼らは文通をしていた。ボリスがポルト・アルトゥール (旅順) から出した最後の (と思われる) 手紙の日付は、1904年 (明治三十七年) 一月九日となっている。この若い海軍少尉は日本の友達を 「僕のタケ兄さん」 と呼び、父親が少将になったことや、姉のヴィラが嫁いだことを、彼に伝えている。
後にヴェラは幸せな家庭を持ち、愛する子供たちや孫たちに囲まれた亡くなった。かって彼らの家族が一人の日本人と親しく付き合い、彼が優しく彼女の相手をしていたと、ヴェラ・アンドレーヴナが語っていたことを、この家族は証言している。しかも彼らはエカテリーナ運河の同じ建物に住んでいた。この仮説は非常に魅力的なものではあったが、ヒロインが熱烈な恋愛をしていたにしては余りにも速やかに嫁いでいる。しかも、廣瀬がロシアにいた時期は、彼女の年齢が十三歳から十七歳までで、少々若すぎる。下の娘のリディアに至っては、この日本人が去ったとき十四歳にもなっていなかった。
そこで我々は、日本語に翻訳された際に姓が間違って訳されたのではないかと仮定した。たとえば日本人によくあるように、 「V (ヴ)」 と 「B (ブ)」 を間違えたのではないか。探すべきなのはコヴァ・・ レフスキー (Kovalevsky) ではなく、コ レフスキー (Kobalevsky) か何かなのではないか? 私は捜査範囲を広げることにした。

著:スヴェトラーナ・フルツカヤ
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