〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-Z』 〜 〜
エ ピ ソ ー ド で 綴 る そ の 人 間 力

2012/10/30 (火) 壮 絶 な る戦 死 ─ そ し て 軍 神 と な る 明治三十七年 (1904)

廣瀬が旅順口の閉塞作戦において、任務遂行ののち、沈みかけた船の中で行方不明となった部下の杉野上等兵曹を探し求め、いよいよ離船してボートに乗り移った直後、被弾して壮絶な戦死を遂げたことは周知のとおりである。
ときの 「関東報」 (明治三十七年四月九日付) は、廣瀬少佐の遺体を収容したロシア海軍が、海軍葬をもって丁重に葬ったと報じており、また、旅順に派遣されていた恋人アリアズナの兄が廣瀬の遺体を確認したというのも、あるいは事実なのであろうが、今となってはこれを確かめるすべもない。
じつは、アリアズナのほかに廣瀬を慕っていた女性がもう一人いた。サンクト・ペテルブルグ大学の教授ペテルセン博士の娘マリアだ。マリヤは廣瀬の戦死後、兄嫁の春江宛に哀悼の手紙を寄せている。そこには、

── あの方は、愛する尊い祖国のために英雄として死んでゆかれました。そしてあの方の思い出は永遠に歴史の中に、ご家族の心の中に、また多くの友の心の中に生きつづけてゆくことでございましょう ──
としたためられていた。これは、敵国ロシアに娘が寄こした真実の手紙である。
一方、アリアズナは廣瀬の死後、毎日、喪服で暮したというが、おそらく結婚は生涯しなかったのではないだろうか。私はそう信じたい。いずれにしても、ソビエット革命の後、今日に至るまでアリアズナの消息はよう として不明である。
著:櫻田 啓
Next