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エ ピ ソ ー ド で 綴 る そ の 人 間 力

2012/10/30 (火) 廣 瀬 武 夫 の 銅 像

戦前、東京の旧万世橋まんせいばし 駅前には、廣瀬中佐と杉野兵曹長の巨大な銅像があり、市民の憩いの場になっていた。銅像の製作者は、大分県大野郡上井田村 (現豊後大野市) 出身で、明治の偉大な彫刻家渡辺わたなべ 長男おさお朝倉あさくら 文夫ふみお の兄弟である。廣瀬中佐像は兄の長男が、杉野兵曹長の像は弟の文夫がそれぞれ製作を担った。ところが、この銅像は戦後の混乱期に撤去されてしまった。その理由は、この銅像が 「戦犯長江」 にあたり、GHQの指示によるというものである。
しかし、これは全く根拠のない理由づけである。その証拠に、ある日、銅像製作社の渡辺の家を訪ねたGHQ民生局員は、

── あの銅像の撤去を命じたのは、われわれGHQではない。日本政府が勝手に撤去したのです。あの銅像は戦犯とは無関係だ。我々は、上官と部下の厚い友情のシンボルとして (廣瀬中佐) を尊敬していたのに残念です ──

渡辺にそう語ったという。
朝倉文夫は竹田中学校 (現竹田高校) に学んだ後上京し、兄の影響を受けて彫刻家となったが、もともとは正岡子規を慕って俳句を志していたらしい。ところが、文夫が上京したまさにその日が、正岡子規の通夜の日だったという。
正岡子規 ─ 秋山真之 ─ 廣瀬武夫 ─ 渡辺長男 ─ 朝倉文夫 ─ 正岡子規が相関の環線で結ばれるところ、朝倉 ─ 正岡のえにし はぷっつりと断ち切られた。これも歴史の皮肉である。
著:櫻田 啓