廣瀬がサンクト・ペテルブルグに滞在中、竹田で少年年時代を過ごした瀧
廉太郎れんたろう が政府の音楽留学生としてドイツのライプチッヒに滞在していた。 廣瀬と瀧との間に面識があったかどうかわからないが、海軍の軍服を着て颯爽さっそう
と竹田に帰省した廣瀬の姿に、瀧は子供心に憧れていたようだ。 そんなことから、瀧は廣瀬宛に、自分が日本を離れる直前に作曲した 「荒城の月」 の楽譜を送った。 楽譜の読めない廣瀬は、これを恋人のアリアズナに見せ、ピアノで演奏してもらった。その旋律はロシア民謡にも似てもの悲しく、ふるさと竹田の風景、岡城の姿をまざまざと蘇らせてくれた。 この曲は、東京音楽学校
(現東京芸術大学) から発表されたばかりであり、日本国内でもまだ広く知られていない時であったから、廣瀬は日本人としていち早く、しかも外国でこの曲を聴いた最初の日本人ということになろう。 |