〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-Z』 〜 〜
エ ピ ソ ー ド で 綴 る そ の 人 間 力

2012/10/29 (月) ロ シ ア に て 明治三十〜三十五年 (1897〜1902)

最初は留学生として、留学生を解かれてからは駐在員として、廣瀬はロシアに足かけ六年ほど滞在した。
ロシアの日本公使館を拠点に、ロシアの海軍調査を主な任務としたが、廣瀬は駐在武官である八代少佐のアドバイスを受け、ロシアの全てにゆいて研究した。
はじめのころ悪戦苦闘したロシア語についてはロシア語の原書を解読できるまでに上達し、日常会話や日記にはフランス語も使っている。ロシアの地理、気候、風土、民族、歴史、文学にいたるまで、廣瀬は徹底してロシアを研究した。廣瀬が研究に使った本や資料は帰国の際に持ち帰り、いまでは東京大学と東京外国語大学の図書館に寄贈されている。廣瀬が 「ロシア研究家」 といわれるゆえんはここにある。
廣瀬は、一面ぶっきらぼうな性格であったようだが、いちど廣瀬に接した人はその人柄にたちまち陶酔したようだ。相手によって態度を変えるわけでもなく、ただあるがままに接しても、廣瀬の飾らない、それでいて実直で優しい人柄は、男女に区別なくヨーロッパの人々にも好感を持って迎えられ、 「騎士ナイト 」 として尊敬された。
ロシア滞在中に多くのロシア人家族と懇意になり、家族同様の交際があったようだが、当時、世界に顔を出し始めたばかりの、極東の貧しい気にの軍人がこのような扱いを受けたことは驚嘆のほかない。廣瀬は 「国際人」 として、堂々と世界に通用したのだ。
特筆すべきは、女嫌いの廣瀬がロシアの娘と恋仲になったことである。ロシア海軍の要職を務める人の娘アリアズナは、ロシアの若い将校たちのふしだらな生活に嫌悪を抱き、とこどき父親のもとを訪ねてくる廣瀬を、自分の生涯を捧げるにふさわしい男性だと想い定めたようである。
二人は純粋な愛で結ばれていたが、日本とロシアの関係が悪化せず、戦争という悲惨な事態を招かなかったら、この恋は、あるいは成就していたのかも知れない。

著:櫻田 啓
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